『心身養生のコツ補講50』メモ
やってみたいコツ
・地球すべてを聖霊のエネルギーで充す
・恥骨結合を意識して、動く
・「これは私だ」と唱える
・手首で動かす
・聖霊のエネルギーを外部まで満たし「聖霊が主導する」意識で動く行為する
・「いのちのフル回転」があるから「全き休息」が生じる。生命をフル回転させるから休もうとする、けれどこの準備なしに「全き休息」を目指すのが、大量の薬物療法
・「活動の機会を与えられていない資質が、活動の機会を求めて休息の邪魔をする
「挫折に遭ったせいで活動の機会を失った資質」を再起させる
「再活動しようともがいている資質を把握し育てる」治療方針
「資質のもがき活動の探索・察知」の仕方
①症状(課題)の中に隠れた「資質の可能性や欲求」を探す
②挫折体験の中に資質を探す
③治療者が提示したものへの反応、特に抵抗の中に資質の片鱗を探す
④文化汚染の少ない幼少時代の「生活のあり様」「思い出」の中に資質の発露を探す
⑤中学生や中年期の空想の中に、資質と願望の回復への志向を探す
⑥夜の夢の中に資質と願望を探す
⑦治療経過の中で起こった小さなリラクゼーションを精査して、資質の充足体験を探す
・どんなものに憧れるのか?何に憧憬するか?
・相手の姿をみた「一瞬」、こちらの内側に流れる感触。を味わってみる。第一印象と同じく大切にしていい情報。
・相手の「進もうとしてる」「進みたいと思っている」がまだ選択されていない未来像、あるいは「諦めている」未来像、人生上で置き去りにしてきた資質や願望を察知することがあります。
それを告げる形は、相手の意識の辺縁に置かれていたテーマを、主役の位置に導いて、(本人の自尊心と自己愛を擁護しながら)自己省察活動を鼓舞します。
これは「楽しい対話」になります。
・相手に乗り移ってる時は、意外にも「適切な距離」がある。
師に溺れるとはこれの逆で、乗り移ってるのではなく「乗り移られている」状態。我が溶けてる状態。場合によっては教条や組織に取り憑かれるようになるのだ危険
・日常的に「乗り移ってる」ことをしてると我を忘れることはない
・「困って苦しい」状態は、援助を求め必要としている状態です。なのでまずは一般的な援助を提示します。ここからが「現場の芸」の始まりです。
結論は「細やかな援助、への細やかな反応を捉える」こと。これが熟練すると「微かな援助、への微かな反応を察知する」状態になる。
(細やかさとは、行動の変容を示唆するだけで指示しないことや、細やかな刺激による働きかけなどの概念が含まれている)
具体例でいえば、
「泣いてる人にティッシュで拭いてあげるよりも、ティッシュの箱を差し出す方が細やかですし、ティッシュのはこの方にこちらの注意を向ける方がより細やかです。」
「今、何かしましょうか」と問いかけるのは微かな領域の援助。これは微かな援助「意向」の送り込み。援助と観察の手続きでもある
→こちらが提示した援助に、「自然で滑らかな」反応が返ってくるなら、本人にとってなれ親しんでる「やり取り」であり「人間関係」です。
躊躇いの反応が返ってくるなら、これこらの治療関係にとって重要な「援助されることのアンビバレンス」を示唆してます。本人の過去の歴史に由来する者であると想定します。(例えば医療被害や愛着障害)
(2つの相反するルールの間で、身動きがとれなくなる葛藤状態といってもいいのかな?)
全ての「働きかけ・問いかけ・助言」において、観察と、「図」「地」の再構成を続ける。すると「歴史を背負った人物像」が描かれ、本人の「地」に組み込まれたフラクタル的反応パターンが浮かび上がってきてます。
そうして、こちらの援助・助言・指摘が、そのフラクタル構造にどのように「関わり、揺さぶるか、揺さぶらないか」が想定できるようになります。
一言でいえば、顔色/様子を伺うってことです。
これを想定できる段階に来てから、ようやく、「パターンを活用したり、パターンに呑み込まれて生きてきた掛け替えのないその人」に接してる充実感が湧いてきます。しみじみと。「うん、これだ!」的な感覚でもある。
以上は、「図・診断」への接し方でした。
(地と図の話は全く説明されてないので分からない、推測では地とは本来、図は学習や文化に近いものを指しているのか?)
次は治療援助の方針を作成するための症状への接し方です。
まず症状を「失った」の現れと「対処努力」の二つに分けます。
「失った」を現す症状は、」うつ、引きこもり、食欲がない、頭が働かない、動けない、かん黙」などです。これらに対する神田橋の治療方針は「頑張らない・無理をしない」です。そしてエネルギーがどの程度回復してきたかを測るため、自覚的観察の対象にするよう患者に指示します。
その他の症状は「対処努力」です。特に多くのエネルギーが使われてるものほど治療の手掛かりとなります。これへの援助方針は「方向を変える・対象を広げる」です。
破壊なら→何かを蹴飛ばす、紙袋を潰す、ボーリング競技
食べ物の好き嫌いなら→好きな食べ物のさらなる選別、新しい食べ物の発見・開発をする、バーベキュー、自分で料理、と対象を広げるてゆく。
文句・議論の多い人は→討論番組にツッコミをいれる、サラリーマン川柳、(ブログやTwitterの論争もありかも?)
万引きなら→観光果樹園、山菜採り、潮干狩り、釣り堀
漫画三昧なら→マンガを描いてみる、指人形芝居
──とにかく本人とアイディアを出し合って、話し合って、試してみます。
そして二人で話し合ってると本人がこちらの意見に反対することがあります。この時は「喜び」の瞬間であり、「対等に意見が出せた」ということであり、治療関係の芽生えの瞬間です。
(逆にこちらの意見に反対意見が無いときは、対等ではないということなのだろう。だから対等な関係にあれたことを喜ぶのだと思う)
・我雪と思えば軽し傘の上
一動全動が達成された状態は、「すべての細胞は一個の細胞のために、一個の細胞はすべての細胞のために」
椅子などを自分の身体の構成部分だとイメージして、持ち上げてみる。自他を一体化させる。それは自分の一部だ、とイメージしてみる訓練。
「骸骨が動く」「骸骨が走っている」「骸骨が体操している」と呟いてみると、充実感のある動きになります。ある。
・挫折は工夫のはじまり。挫折をきっかけに工夫しようとする
・O脚という症状に、自然治癒力の発露をみる、折り合いをつけようとしてる働きを感じる
・問題や症状を、「ある何か」を回復させようとするもがきの活動
・核になる治癒のメカニズムは、「退行」である。退行の蓄えが豊かであるほど、緊急避難法、挽回法として働く。
・観察し、指摘する。指摘して潜在力が賦活されたならば、自由に伸び伸びと遊ばせる器が必要。これが関わりの理想形でしょう。
・目利きと遊ばせる度量
・生活場面であれこれ指摘するのではなく、「モデルを示す」(自らの言動で)。これが人を育てる度量
・「情緒を伴う関係」を減らす話法。相手に入れ込んだりせず、関わりを最小限にする姿勢。情緒を閉ざして行う奇怪なシングルメッセージ。
・本物の双方向性の関係が成り立つには、「共に変化しうる」という暗黙の前提を有しているかです。「片方だけが変わる」ことを前提にしたコミュニケーションは双方向性とは似て非なるものです。理論が確立した精神療法はこの危険があります。
・「共に変化しうる」関係の前提にあるのは、基本的信頼感。(基本的信頼感は愛着体験に由来する)
・共に変化する関係のコツは、変化しようと意図しないこと。意図すると表面的な変化への道に行ってしまい、大切な変化が置き去りにされてしまう。
懸命な関わりの途中で「あれ、変化した?」と、ふと気づくのが望ましい過程です。
・数字に汚染されてない活動や領域には、「いのちのやすらぎ」がある。
数字は人類文化の最強ではあるが道具である。数字には服従せず、嫌悪せず、主体であるいのちに役立たせる。
・こちらの知識・方法・アイディアを「してみない?」と言って教えてみる。
「してみたらいいかもしれないよ、やりたかったらしてごらん」という誘い方
・できるだけ相手に自らを助ける力を移して、あとは本人がやっていくのがいい。こちらの手間を省き楽をするのです
・部分の中に全体が微かに現れてる