神田橋條治 精神科講義を読んだメモ

神田橋條治 精神科講義

 


・やってごらんといい、やれるよう励まして、自分でやれるようにしてほうがいい

・心のニーズと、身体のニーズは異なるときもあるし、一致するときもある。

意識している欲求と、生体にとって望ましいあり方としての欲求。

後者のニーズを汲み取るには「この人のためになるんじゃないかなあ」と推量する、推量には知識と技術が必要

 


・患者さんが意識している欲求に対応してるときは楽。本人が「したい」思ってることを言ってくれるようにすると、支援する側が楽になる。

 


・患者さん自身が、自らの内的感覚・ニーズを汲み上げて、「したい」と口にし誰かに援助を求めるようにする。内的感覚を細やかにする。そして「こうしたほしい、こうしたい」という沢山の自分のニーズを、自分でできるようにする、自分で満たせることは大切

こちらは如何に何もしないでで何とかならないか考える。

 


・それぞれの治療理論によって表現されている、構造から滲み出る、構造によって生み出された「雰囲気」を捉える。キャッチできないと治療が下手になる。

 


・そのためにその治療理論が創造された背景、ケース、事情を知っておくと雰囲気を把握しやすくなる

 


・「雰囲気」が分からない治療理論や、概念は使わない方がいいのかもしれない

 

 

 

・「イメージ」「言葉」「感覚」に対してはアクションを添えてあげて

アクションには「イメージ」「言葉」「感覚」を添えてあげるようにする。

(あいつを殴りたかった(言葉)→どのぐらい殴りたかったのかこの枕で試して見て。家庭内暴力→殴ったときの気持ちと、拳が当たった時の気持ちを観察して教えて、次の治療の時に、そうしたら一緒に考えられるから)

 


・アクションと言葉の相互作用が重要

 


・患者がずーっと過ごしている一日一月生活の雰囲気を想像してみる。患者から醸し出される雰囲気を捉える

 


・型は癖を矯正するためのもの、型は真髄を伝えるためのもの、真髄は雰囲気のようなものである。(不立文字)

 


・構造論や構造物を仮のものとして、それが伝えようとする雰囲気はなにか?と考えてみる

 


・「それがあなたの問題ですよ」という言い方は、言外に「するな/やめよ」と言っている。違う使われ方はその問題に注意を向けて「答えが出てくれば満足するよ、うまくいくよ」というメッセージがあること

 


・問題点を捉えるサインは「不愉快な感じ」「気持ち良くない」「ここがどうにかなればなぁ」という気持ちを拠り所にする。(そんなの当たり前では?

 


・ついつい自分の不愉快な気持ちによって「それが問題だからやめましょう」とい言ってしまいたくなるが、そうではなく「それがあなたの問題かもね」と示唆する感じにする。すると相手と答えを見つけようとする可能性がちょびっとあがる。言われた人はこれまでの生き方を変えるのではなく、そこに答えを見つけようとする方向に向かうから

 


・「相手と自分との間にどんな関係があるかな?」と考える。問題は関係性によってそれぞれ生まれてくる。

 


・相手とのよい関係があって、そこに問題があって、それを解けて答えが見つかると、相手はもっと良くなる。階段一回分だけハッピーになる。

そんな問題点の見つけ方とは、離魂融合、相手の話に精神に乗っかって聴く、違和感、不愉快、どこかおかしいなと感じる

 


・相手の身になりきっているから、重なり合わせてるかは、自分との思いの差があるから不愉快となる。自分の健康のためには相手と重なり合わせない。不愉快ではなくなるから。

しかし診断の場では、この方法は自らの不愉快さをサインとしてこの人はここに問題があるのだなと気付ける。

 


・問題点に気づけたら、「ここが問題ですね」と言ってもいいが、「この問題はどうなってゆくのが良いだろうか?」「これまでもこの人はこの問題のために苦労したことがあるんじゃないだろうか?」と考えてみる。こうすることで問題点を指摘する時に役立ちます

 


・さらに「この人はどうなりたいのかな?」「そうなればどんな利益があるかな?」と考えることは、病気の人にとって親切な指摘の仕方になります。健康な人にはズバッと言ってもいいでしょう。

 


次に「その問題があると逆にどんな利益があるかな?」と考えてみる。(元々利益の方があって、有利なことがあったから今でも残っているんだろう。もちろん今は不利益な面が沢山あるが少しやり方を変えてみると有利な面が目立ってくる可能性があるな、と考えてみる)

 


・問題さえ正しく把握してれば、指摘の仕方はその人の得意なやり方でいい。(指摘とは理解と働きかけ)

 


・指摘する言葉が、エコーのように反響し、相手の心の中で相手自身が呟いたように工夫してみる。

例えば「お酒に逃げるのがあなたの問題ね」では、他者性が強いので受け取った相手は自分の言葉とは思いにくい。「酒に逃げるのが問題だよなぁ」ならば、問題だよなぁが反響し、「ああそれが俺の問題だよなぁ」と納得しやすい。

(これは相手の身になって言葉を呟くことで、起きる現象。相手の心と同期し、相手になり、その相手とし自分の問題のように問題点を呟く)

 

 

 

・人と人が接するということは、ヒトとヒトが接している

 


・子どもでも、外国人でも、病気の人でも出会ったら、日常的な初対面だと心掛ける。

 

 

 

・こちらが疲れた分だけ、大切にしたされたという勘違い。自分が損した分だけ相手は大切にされたという測定の仕方になってます。こうしたやり方の欠点の一つは「あれだけしてあげたのに」と恨みの気持ちがでてくることです。特に関係が悪くなった時はそうなりやすいです。

ともかく相手を大切にした程度を測るときに、自分が失った損した疲れた量で測るのをやめましょう。それだけで誰かを恨むことがうんと少なくなります。

 


・自分と相手が過ごした時間と関係が、まず自分にとって「価値ある過ごし方」だったと感じられることが第一です。(おそらく自分の望み、関係への望み、未来の物語の望み、をはっきりさせないと価値ある過ごし方にはなりにくい)

その上で、その同じ時間と関係が、相手にとっても、価値あるものだったらいいなぁ、と思えるような過ごし方・接し方を心がけるのです。

 


・「相手にとってもよい時間が、よい関係が過ぎていたんじゃないかなあ、そうあってほしいな」という祈りながら関わることで生じる謙虚な優しさが、相手を大切にする工夫。

 

 

 

・高齢の認知症の方との、大切にする工夫

 


① 本人の歴史について情報収集する。失われた情報は空想で補完しながら、この人は本来こういう人だったのだろうとイメージする。認知症で癇癪持ちになっていたとしても「昔の元気さの名残だ」と何とか辻褄を合わせて、まとまりのある人間像として接すると、これはやってみると、とてもいいらしい。

・欠けた部分を速やかに見つけるための勉強ばかりしてると看護や精神療法が下手になる、上手いのはその欠けた凹部分をイメージで補完できる人

 


②残っている部分(凸)を見つけること

腕が無い人に腕を補填するため義手に目をつけるのではなく、残ってる健康的な脚に注目する。その足で箸を割ったり、訓練すれば縫い物ができないかを考える。(リソース)

 


経験から生まれた知恵を話すことは、元気になる。

 


子どもの発達を頭に入れておくと便利

①介護される→②意見を言う、「いや」と言う

→③自分で自分のことが分かる→④お手伝いをする

→⑤能力を自分で認め、周りからも認められる→ ⑥他人を介護する、教える

 


できるだけ成長した段階をさせてあげることが、相手を大切にすることにもなるし、看護も充実する、

 


老化していくと前の段階に戻ってしまう。

 

 

 

・悩みがあって不安が高い時は、はっきりしたことで安心を与える必要がある。数字ははっきりしてる。曖昧だと安心できない。

 


・安定してたら曖昧なものを増やし、不安定になったら確かなものを増やしていく

(曖昧なものは未来がわからない予測がつきにくいことも当てはまると思う。)

この二つを別々の場所でやるのではなく、一つの場所でやるのがおすすめ。例えば安定した動かない職場で、曖昧で生き生きとした一寸先は闇のような不道徳なことをする。毎日毎日なにか少し変えていく。上司に突っかかってみたり、すこし遅刻してみたりする。きちんと決まってることを、ちょこちょこ曖昧にしてゆく。

 


・輪郭がはっきりし硬くなってくると、陽の伸びやかさはでなくなってくる。

 


・考えが前向きになってること。精神が健康だと自然に前向きになる。

不幸な人は自然と考えが後ろ向きになる。

 

 

 

・好奇心が生命のいきいきとした状態の現れ。好奇心を指標にして精神の健康をはかる。同じ場所の中で好奇心を満たされるようにした方がいい(←なぜ?

 


・精神の健康とは、考えが前向きであること、好奇心の広がり、親切心

健康な人は誰かに親切したくなる、親切をしてみて今の自分に馴染むなら健康とあうこと。

 


・親切な人が誰かをある方向に「誘って」あげること。誘うということは親切の工夫となり、相手の前向きな動きがでてきて、眠っていた自発性を高めていくケアになる、

それと同じで自分自身も何かに誘ってあげるとよい。

「私さん、私さん、こうしたらどう?」と誘う、自分の心の中に動きが湧いてくるか見守る。動きがあるなら工夫は成功

 


・言葉の領域で嬉しい楽しいを感じるのではなく、フィーリングの領域で嬉しさたのしさ気持ちよさを感じるようにしないと見誤る。

言葉に捕まえられて、あれがいいこれがいいと言っても、それを試したら不安定になるので言葉を指標にしない。

 


・いい匂いと言ってどんな匂い?と聞かれても説明のしようがない。説明のしようがないのがフィーリングであり、このフィーリングを育てていくことが「健康になる方法を判定する」ことに繋がる

 


・このフィーリングが育ってないと、色々してもどれが自分に合っているか分からない。

 


・「今日の味付けはどう?」と聞いてあげることが、患者さんの療養と、無い的感覚を育む

 


・考えだけの世界で生きている。「カレーライス」というだけで「好き」「好きではない」と判断してしまう。

 

 

 

・工夫することは、「上達すること」といってよい。上達することを考えてみる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・流れ者のガンマンが人助けをして去ってゆく。このスタイルの精神療法は間違っているらしい。これは日本の文化ではないとのこと(ワインバーグ氏とは正反対だ

 


・例え無縁な人で何も知らなかった人だとしても、実際続かなかったとしても、今後も付き合いが続くと仮定してイメージする。元々知り合っている人や、同級生が訪ねにきたとイメージして話したり助言する。

治療が終わったら今よりももっと付き合いが深くなっているイメージで、接するのです。そういう関係だと思って、ものを言ったり振る舞ったりすれば、言い損ないがなくなるし、うんと上手くなる。ものの言い方、助言のタイミング、断り方が上手くなる。

 

 

 

・西洋の契約文化(契約完了したのでさよなら〜)に我々が惹かれるのは、付き合いが深くなると泥沼化するから

 


・対話の原形、にゃーにゃーわんわん、音があって、表情があって、感情の行き来がある。

 


・話題があると三角関係になる。話題がないと話すのが我々は難しい。話題は重要なんだね。

ただお互いが一定以上親密になると話題はいらなくなる。二者関係は親密で、三角関係は距離がある。

 


・距離がなさすぎると泥沼となるので、距離を作るために「しらけ」させる。つまり何か話題を持ち込む。共有できる話題を作って、三角形を作って、そして三角形の形が崩れたらすぐに二者関係に戻り、またすぐ新しい話題を作るのです。そんなふうに二者の関係と、三角の関係が今どちらに比重があって進行しているかを意識してみてください、

 


・「ねえ」とか「よう」は二者関係の雰囲気。「善処します」などの適度によそよそしい丁寧さは二者関係の雰囲気を入れない言葉遣い。表情や言葉の調子も雰囲気を伝えるから,ここは上達のしがいがある。

 


・「二者関係で反応する人ほど余裕がない状態です。余裕を作りたければなんとか三者関係にしましょう」←まだこれは分からない

 


・病人の場合、二者関係が大切です。(座禅を見ているだけで癒される関係を例えをだす

 


・「イライラする」「眠れない」「疲れが取れない」などの主訴を、そのまま病気と考えてしまうと上手くいかない。そうではなく、主訴を見た時には「何かの病気」と「その病気と戦っている自然治癒力」の合成と考えるのです。

言いかえれば、「主訴の中に自然治癒力はどう現れているかな?」と考えるのです。

 


例えばガラスを破る、過度な飲酒をする患者さんを見て、それをすぐ衝動行為としてみるのではなく「それによって、本人の気持ちがどんなふうに良いほうへ変化するのか?」とか「なぜそれをすると楽になるのか?」と思って訊ねてみる、そこから精神療法は始まります。

 


自然治癒力が向かう先は、「一日を気持ちよく過ごせて、良く眠れて、晩御飯を美味しく食べてる状態」「考えが前向きで、好奇心が広がっている状態」

 


・自己経験から推測して相手の状況を予測するのが、「思い入れ」。言葉が登場する前の原始的なコミュニケーションではこれで人を理解していた。これは容易く「思い込み」となる。

 


言語によってまとめられた体験を語り、伝えていく関係で、思い入れをすると、思い込みになってしまって大きなズレが生まれてしまう。とはいえ共感にはこの思い入れが必要

 


・自分と相手のどこがズレているかが分かるのが共感ではないか?

 


・思い入れが起きてる時は、相手の人を全体を包み込んで、この人全体を理解し共鳴し、共振れのような感じになっている。こちら側にそのような事がおかてれば、入れ込んでいる証です。その人に対する理解が一面一色になったような感じが思い入れであり思い込み。

そしてズレが見つかって「ああ、なんだ」となり、自分とは異質なって部分が沢山見つかり、それが見えながら、相手の体験のある部分については今までの思い入れとは違った、じーんとする感じが伴うのが共感。「ああ、そうだったのか」という腑に落ちた体験も伴うので、洞察の体験でもある。

 


・思い入りの霧が晴れる時、目の前の覆いを取り払うとき、共感と洞察がやってくる

 

 

 

 


・はじめは思い入れでやって、次に思い込みがきて、それが崩壊してズレが出てきて、そして共感(洞察)という順序を踏まざるを得ない。思い入れて思い込みして目が覚める過程は、できるだけ早く通り抜けたいので、「他人のことは分からん」というキーワードを覚えておきます

 

 

 

・「他人のことは分からんぞ」と思う習慣をつけることで、思い込みを早く脱していくための心構えになる。

「自分では分かった気になったけど、しかしここをもう少し聞いてみよう」が出来ると思い込みから早く脱却できる。「ここがよく分からない」と思えた瞬間に8割以上完了してる、あとはそれを質問するだけ

一見分かっているように思えるけど、分かっていない所を探す。話の中で、重要な言葉、大きな価値を置かれてる言葉を見つけて、そこをもっと詳しく聞かせて、と訊ねてゆく。

重要な言葉とは──ひとつでも思い言葉、何度も繰り返される頻度の高い言葉、四字熟語のようなものやカタカナ言葉(精神修養やアイデンティティ)。これらに注目する。

「あなたの言う【精神修養】とはどんなこと?」と言う感じにきく。

 


・共感をしようとするのをやめる。共感はすることを努めるのではなく、共感ができるだけ早く自分の中に「生じてくる」よう工夫する。

 


・共感が伝えるものは、「自分は一人じゃない」「ひとりで考える必要はない」ということ。「ひとりではない」と実感すらことで安らぐ。

もうひとつは自分の抱えている精神的な苦しみ、肉体的な苦しみに、目を逸らさなくなること。目を逸らさないでいることが出来る。そしてこの二つを土台に、次に自然治癒力が生まれてくる。

 


・人は何かしら「上達したいこと・習熟したいこと」があるんじゃないか?それを訊ねてみるのも面白そう。あなたはどんなことを上達したいと思っているのですか?

 

 

 

・治療者を教育する力を一番持っているのは、思い入れられてる患者さん。だから患者自身の意思をどんどん治療者にいってもらえると成長する。なのでこう言う「あなたの主治医(支援者)を、あなたをよく治せるような人に育ててください。主治医(支援者)を育てるのは回り回って自分のためですよ」 と。

次に「あなたの主治医は、言葉を選んで喋らないほど弱々しい人ですか?」と聞く。すると患者も「あっ、主治医はそんな弱々しいしい人ではない」と気づくわけです。この質問の背景には、この患者さんは「自分の気持ちを抑える事で平和な関係を築こうと学習してきた人生の歴史があるのではないか?」を推測して言ってるわけです。

 

 

 

・言葉にならない体験を作ってあげる、あるいは体験することは、重要な治療となるだろう

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

・情報を隠し立てないでオープンにするほど操る要素が減る。そしてあたたかい雰囲気が波及する。情報の公開をしぶると操る要素が増える

 


・「知る」ことが精神療法になる。自分は普通だ(平均化)や自分はひとりではないのだという感覚が生じるからだろうか?

 


・何か聞かれた時、隠したい気持ちをいう。なぜ隠したいのかという事情を公開して、あとは言わないことにする。すると納得する。

 


・「知らせる」とは、こちらのお任せされてる部分を減らし、引き受けない行為です。これを踏まえた上で、「その情報を知った相手の潜在性を考えて、できるだけ知らせる」ようにします。

 


・全経絡の気功の示唆

 


・選択肢が広がると豊かになるが、選択する力がないと困ったことになる。選べないので

 


・現在で何か一つ観察したら、それで未来を推測し、過去を推測し、それで再び現在を見る。

 


・問いにおける患者の精神の弛緩状態を観察する。

「外に出たい?」と聞いて「出たい」と言ったその瞬間に、筋肉の強張り、目の鋭さが和らぐのか、それともエスカレートするのかで未来を推測できる。

具体的なイメージによる問いかけ──「外に出るとしたらどこへ行きたい?」──によって、本人の生理状態が安らかな方向へ行くか行かないか。

 

 

 

・強張るなら、ストレスを増やす、訓練ということ。「頑張ってみる?」

 

 

 

・以下の問いかけを繰り返すことで未来の推測の訓練となる。

「こんな時わたしは何と言ったでしょう?→あなたならこう言うかも→こう言いました。そしたらその人はどうなったでしょうか?さて何が起こったでしょう?」

・ケースカンファレンスの流れにそれぞれの考え方の癖が出てきてこれが役に立つ。

 


・「何となくそんな気がする」でやってみて的中するのが臨床力の高さ。

 


・無限の変化に対して、無限の変化で応じることができる。「何となく」そうしてみてそれでよかったなと言う感じ。

 


・目の前の固有への近未来を予測したいというロマン。

エビデンスは目の前のケースについての知識ではない

 


・技法を無意識化する、マニュアルはその反対

 


・薬を相手に向けた時に、「あ、いい」と感じるか、「いや」と感じるかでその薬がそのケースに適してるかわかる。

その薬を、目を閉じた状態で、徐々に顔に近づけていき、そのときの感じで判断する。いい感じか、悪い感じか。「うっ」となるか否か。

 

 

 

・「あなたの自立のために、ちゃんとこちらの言うことを聞いて」は自立とかけ離れた治療になってしまう。自立のための奴隷制

 


・患者の考えやアイディアをきいて「どうしたらいいのかな。私はこう思うけどどうかな?」と伝え返す」

 


・何か物事が起こった時に、本人の資質が現れるので「その時、どしましたか?」と聞いて資質を探る

 


・同様に「この時はこうしなければいけません」という指導はあまりよくない

 


・資質が引き出されるのは気分がいいし気持ちがいい。どんなに小さなことでも自己実現となる、逆に資質でないものを伸ばしても嬉しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・自らの資質がいまの活動に生かされて発現してる時は、生き生きとする。健康

 


・せっかく自然治癒力が出てきても「早く、早く」とせき立てられるとダメになってしまう。

 


・中心線があるかないか

 


・バウムテスト、人を見た時にその人をバウム(樹)だと思って見る。こちらから見て右側が未来、左側が過去、芯があるか、実り豊かかをイメージする。そして的中させる。

 

 

 

・背骨に中心線、芯をイメージして、この芯に五感の外部刺激をいれるイメージをする。すると対人緊張やリスカが激減する。

同様にここから声を出すのもよい。また自分の内的感情や内的な刺激もこの芯に入れてみる

 


→私なら上空の聖霊が、外部刺激を引き取ってくれて、内的な感情や思考も吸い取ってもらうイメージがいいかもしれないを

 


・全身がゆるんでる状態、どこか緊張してる状態を察知できればいいね

 


・心と体どちらにも通用するような言葉を、たくさん使う。「考える」は身体に影響しないような雰囲気があるから「そのとき忘れないでね」と置き換えてみたりする。

 


・「楽だ」や「うきうき」「ふわふわ」など心と身体どちらも参与してるような言葉をたくさん使ってゆくと、相手が心と身体どちらの言葉を使っているか?のセンスも磨かれてゆく

 


・外来に来てて維持投薬をしてる患者さんに、「今日は何も質問することないけど、あなたの方で何か質問があったらどうぞ。特に何もなければ、いつもの通り、薬をあげるのでいい?」というのはサポーティブな言い方。

無理して「近頃どう?」「仕事は順調?」など話したり質問しなくていい。特に何もないなら、何もないという。何も聞き出されないし、聞きたいことには答えてくれることは相手にとっていいこと。

 


・本人が「進みたい方向」に、「進みたい分」だけ進んでゆかせるようにする。

 


・双方向性の話し合いにより、視点が増え、増えることで話の内容が変わってくる。結論は変化するこのアドリブ感が楽しい。瞬間瞬間が新鮮です。

 

 

 

・花にとって蝶々と人間との関係は違う。アフォードされる要素が異なる。

 


・二人のあいだにどんな関係が流れていて、このままだとどう移り変わるか? そしてどう移り変わるのが望ましいだろうか? 「関係全体」をよき方向へ変えるためには何をすればいいか?

 


・その関係に充満してるフィーリングを(言葉にせず)味わって、味わったそれを表情や仕草などの非言語で二人の関係に投げかける、ことは事態をよい方向へ向かわせるかもしれない

 


・悪いような感じのフィーリングをじーっと味わってみると、「つらいね」「不安だね」と自ずと言葉がでてくる。自ずとそこに現れてくる言葉をキャッチして、相手に伝え返すことはよいかも。

 


・治療という世界は、頑張れば頑張るほど、学問的正しさ(論理的記述)から遠ざかってゆく。

正しさ→デジタル、断定、輪郭がはっきり、非曖昧 

 


・学問的に正しいことをしてる先生は、大抵治療が下手。

 


・アニメもそうか、概念の世界、言語の世界で見ると体験が薄まるのだなあ。フィーリングで感じ取ってゆく読み方が望まれるかも

 


・困ってる人に最初に出会ったとき、その状況に触発された行動は素人っぽいものでよい。自分の中から素人的な「助けてやりたい」という気持ちがでてこないとおかしなことになっている。

 


・困ってる人と最初に出会った時点で専門的な考えになってたら、自分がAndroidのようになり始めているぞと考えてみる

 


・掃除のおばさん、握り飯

 


・相手のことを分かろうとして、ああかな?こうかな?と問いかけて相手の発想を促してゆくと、(「先生のいうその通りです」ということは殆ど起きなくて)こちらが意図してないものを「そうだ分かった!」と相手は思いつく。そっくりだったら信仰になる。そして「先生そうじゃなくてこうだよ」と伝えてくれるのが創造的な精神療法。

 


・気づきは本人の中からわぁーっと立ち上がってくる。

 


・「こうしてはどうだろうか?」とやる事が全て空振りであったとしても、向こうの中に何かが立ち上がってくるきっかけになりうる。

 


・こちらが理解してゆこうとする姿勢を持ち続けることで、本人の中に「自分で自分を理解しよう」と動きが触発されてゆく。

 


・「こっちの言うことが正しい」とやる精神療法は教祖的

 


・しばらくその型を維持することによって、型にはまる前よりも、よりその人の個性が現れてくるような、本人の自己実現(資質の発露)をインキュベートするような精神療法。(行法の世界をイメージ)

 


・病気もまた型と捉えると、病により没個性化して、けれどその病にはまるよりも本人の個性が立ち上がってくることもあるのかもしれない

 


・同じ日常が続いているという感覚を覚えたなら、それは命が眠っている。リフレッシュすることで生き生きとする。