神田橋條治 精神科講義を読んだメモ

神田橋條治 精神科講義

 


・やってごらんといい、やれるよう励まして、自分でやれるようにしてほうがいい

・心のニーズと、身体のニーズは異なるときもあるし、一致するときもある。

意識している欲求と、生体にとって望ましいあり方としての欲求。

後者のニーズを汲み取るには「この人のためになるんじゃないかなあ」と推量する、推量には知識と技術が必要

 


・患者さんが意識している欲求に対応してるときは楽。本人が「したい」思ってることを言ってくれるようにすると、支援する側が楽になる。

 


・患者さん自身が、自らの内的感覚・ニーズを汲み上げて、「したい」と口にし誰かに援助を求めるようにする。内的感覚を細やかにする。そして「こうしたほしい、こうしたい」という沢山の自分のニーズを、自分でできるようにする、自分で満たせることは大切

こちらは如何に何もしないでで何とかならないか考える。

 


・それぞれの治療理論によって表現されている、構造から滲み出る、構造によって生み出された「雰囲気」を捉える。キャッチできないと治療が下手になる。

 


・そのためにその治療理論が創造された背景、ケース、事情を知っておくと雰囲気を把握しやすくなる

 


・「雰囲気」が分からない治療理論や、概念は使わない方がいいのかもしれない

 

 

 

・「イメージ」「言葉」「感覚」に対してはアクションを添えてあげて

アクションには「イメージ」「言葉」「感覚」を添えてあげるようにする。

(あいつを殴りたかった(言葉)→どのぐらい殴りたかったのかこの枕で試して見て。家庭内暴力→殴ったときの気持ちと、拳が当たった時の気持ちを観察して教えて、次の治療の時に、そうしたら一緒に考えられるから)

 


・アクションと言葉の相互作用が重要

 


・患者がずーっと過ごしている一日一月生活の雰囲気を想像してみる。患者から醸し出される雰囲気を捉える

 


・型は癖を矯正するためのもの、型は真髄を伝えるためのもの、真髄は雰囲気のようなものである。(不立文字)

 


・構造論や構造物を仮のものとして、それが伝えようとする雰囲気はなにか?と考えてみる

 


・「それがあなたの問題ですよ」という言い方は、言外に「するな/やめよ」と言っている。違う使われ方はその問題に注意を向けて「答えが出てくれば満足するよ、うまくいくよ」というメッセージがあること

 


・問題点を捉えるサインは「不愉快な感じ」「気持ち良くない」「ここがどうにかなればなぁ」という気持ちを拠り所にする。(そんなの当たり前では?

 


・ついつい自分の不愉快な気持ちによって「それが問題だからやめましょう」とい言ってしまいたくなるが、そうではなく「それがあなたの問題かもね」と示唆する感じにする。すると相手と答えを見つけようとする可能性がちょびっとあがる。言われた人はこれまでの生き方を変えるのではなく、そこに答えを見つけようとする方向に向かうから

 


・「相手と自分との間にどんな関係があるかな?」と考える。問題は関係性によってそれぞれ生まれてくる。

 


・相手とのよい関係があって、そこに問題があって、それを解けて答えが見つかると、相手はもっと良くなる。階段一回分だけハッピーになる。

そんな問題点の見つけ方とは、離魂融合、相手の話に精神に乗っかって聴く、違和感、不愉快、どこかおかしいなと感じる

 


・相手の身になりきっているから、重なり合わせてるかは、自分との思いの差があるから不愉快となる。自分の健康のためには相手と重なり合わせない。不愉快ではなくなるから。

しかし診断の場では、この方法は自らの不愉快さをサインとしてこの人はここに問題があるのだなと気付ける。

 


・問題点に気づけたら、「ここが問題ですね」と言ってもいいが、「この問題はどうなってゆくのが良いだろうか?」「これまでもこの人はこの問題のために苦労したことがあるんじゃないだろうか?」と考えてみる。こうすることで問題点を指摘する時に役立ちます

 


・さらに「この人はどうなりたいのかな?」「そうなればどんな利益があるかな?」と考えることは、病気の人にとって親切な指摘の仕方になります。健康な人にはズバッと言ってもいいでしょう。

 


次に「その問題があると逆にどんな利益があるかな?」と考えてみる。(元々利益の方があって、有利なことがあったから今でも残っているんだろう。もちろん今は不利益な面が沢山あるが少しやり方を変えてみると有利な面が目立ってくる可能性があるな、と考えてみる)

 


・問題さえ正しく把握してれば、指摘の仕方はその人の得意なやり方でいい。(指摘とは理解と働きかけ)

 


・指摘する言葉が、エコーのように反響し、相手の心の中で相手自身が呟いたように工夫してみる。

例えば「お酒に逃げるのがあなたの問題ね」では、他者性が強いので受け取った相手は自分の言葉とは思いにくい。「酒に逃げるのが問題だよなぁ」ならば、問題だよなぁが反響し、「ああそれが俺の問題だよなぁ」と納得しやすい。

(これは相手の身になって言葉を呟くことで、起きる現象。相手の心と同期し、相手になり、その相手とし自分の問題のように問題点を呟く)

 

 

 

・人と人が接するということは、ヒトとヒトが接している

 


・子どもでも、外国人でも、病気の人でも出会ったら、日常的な初対面だと心掛ける。

 

 

 

・こちらが疲れた分だけ、大切にしたされたという勘違い。自分が損した分だけ相手は大切にされたという測定の仕方になってます。こうしたやり方の欠点の一つは「あれだけしてあげたのに」と恨みの気持ちがでてくることです。特に関係が悪くなった時はそうなりやすいです。

ともかく相手を大切にした程度を測るときに、自分が失った損した疲れた量で測るのをやめましょう。それだけで誰かを恨むことがうんと少なくなります。

 


・自分と相手が過ごした時間と関係が、まず自分にとって「価値ある過ごし方」だったと感じられることが第一です。(おそらく自分の望み、関係への望み、未来の物語の望み、をはっきりさせないと価値ある過ごし方にはなりにくい)

その上で、その同じ時間と関係が、相手にとっても、価値あるものだったらいいなぁ、と思えるような過ごし方・接し方を心がけるのです。

 


・「相手にとってもよい時間が、よい関係が過ぎていたんじゃないかなあ、そうあってほしいな」という祈りながら関わることで生じる謙虚な優しさが、相手を大切にする工夫。

 

 

 

・高齢の認知症の方との、大切にする工夫

 


① 本人の歴史について情報収集する。失われた情報は空想で補完しながら、この人は本来こういう人だったのだろうとイメージする。認知症で癇癪持ちになっていたとしても「昔の元気さの名残だ」と何とか辻褄を合わせて、まとまりのある人間像として接すると、これはやってみると、とてもいいらしい。

・欠けた部分を速やかに見つけるための勉強ばかりしてると看護や精神療法が下手になる、上手いのはその欠けた凹部分をイメージで補完できる人

 


②残っている部分(凸)を見つけること

腕が無い人に腕を補填するため義手に目をつけるのではなく、残ってる健康的な脚に注目する。その足で箸を割ったり、訓練すれば縫い物ができないかを考える。(リソース)

 


経験から生まれた知恵を話すことは、元気になる。

 


子どもの発達を頭に入れておくと便利

①介護される→②意見を言う、「いや」と言う

→③自分で自分のことが分かる→④お手伝いをする

→⑤能力を自分で認め、周りからも認められる→ ⑥他人を介護する、教える

 


できるだけ成長した段階をさせてあげることが、相手を大切にすることにもなるし、看護も充実する、

 


老化していくと前の段階に戻ってしまう。

 

 

 

・悩みがあって不安が高い時は、はっきりしたことで安心を与える必要がある。数字ははっきりしてる。曖昧だと安心できない。

 


・安定してたら曖昧なものを増やし、不安定になったら確かなものを増やしていく

(曖昧なものは未来がわからない予測がつきにくいことも当てはまると思う。)

この二つを別々の場所でやるのではなく、一つの場所でやるのがおすすめ。例えば安定した動かない職場で、曖昧で生き生きとした一寸先は闇のような不道徳なことをする。毎日毎日なにか少し変えていく。上司に突っかかってみたり、すこし遅刻してみたりする。きちんと決まってることを、ちょこちょこ曖昧にしてゆく。

 


・輪郭がはっきりし硬くなってくると、陽の伸びやかさはでなくなってくる。

 


・考えが前向きになってること。精神が健康だと自然に前向きになる。

不幸な人は自然と考えが後ろ向きになる。

 

 

 

・好奇心が生命のいきいきとした状態の現れ。好奇心を指標にして精神の健康をはかる。同じ場所の中で好奇心を満たされるようにした方がいい(←なぜ?

 


・精神の健康とは、考えが前向きであること、好奇心の広がり、親切心

健康な人は誰かに親切したくなる、親切をしてみて今の自分に馴染むなら健康とあうこと。

 


・親切な人が誰かをある方向に「誘って」あげること。誘うということは親切の工夫となり、相手の前向きな動きがでてきて、眠っていた自発性を高めていくケアになる、

それと同じで自分自身も何かに誘ってあげるとよい。

「私さん、私さん、こうしたらどう?」と誘う、自分の心の中に動きが湧いてくるか見守る。動きがあるなら工夫は成功

 


・言葉の領域で嬉しい楽しいを感じるのではなく、フィーリングの領域で嬉しさたのしさ気持ちよさを感じるようにしないと見誤る。

言葉に捕まえられて、あれがいいこれがいいと言っても、それを試したら不安定になるので言葉を指標にしない。

 


・いい匂いと言ってどんな匂い?と聞かれても説明のしようがない。説明のしようがないのがフィーリングであり、このフィーリングを育てていくことが「健康になる方法を判定する」ことに繋がる

 


・このフィーリングが育ってないと、色々してもどれが自分に合っているか分からない。

 


・「今日の味付けはどう?」と聞いてあげることが、患者さんの療養と、無い的感覚を育む

 


・考えだけの世界で生きている。「カレーライス」というだけで「好き」「好きではない」と判断してしまう。

 

 

 

・工夫することは、「上達すること」といってよい。上達することを考えてみる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・流れ者のガンマンが人助けをして去ってゆく。このスタイルの精神療法は間違っているらしい。これは日本の文化ではないとのこと(ワインバーグ氏とは正反対だ

 


・例え無縁な人で何も知らなかった人だとしても、実際続かなかったとしても、今後も付き合いが続くと仮定してイメージする。元々知り合っている人や、同級生が訪ねにきたとイメージして話したり助言する。

治療が終わったら今よりももっと付き合いが深くなっているイメージで、接するのです。そういう関係だと思って、ものを言ったり振る舞ったりすれば、言い損ないがなくなるし、うんと上手くなる。ものの言い方、助言のタイミング、断り方が上手くなる。

 

 

 

・西洋の契約文化(契約完了したのでさよなら〜)に我々が惹かれるのは、付き合いが深くなると泥沼化するから

 


・対話の原形、にゃーにゃーわんわん、音があって、表情があって、感情の行き来がある。

 


・話題があると三角関係になる。話題がないと話すのが我々は難しい。話題は重要なんだね。

ただお互いが一定以上親密になると話題はいらなくなる。二者関係は親密で、三角関係は距離がある。

 


・距離がなさすぎると泥沼となるので、距離を作るために「しらけ」させる。つまり何か話題を持ち込む。共有できる話題を作って、三角形を作って、そして三角形の形が崩れたらすぐに二者関係に戻り、またすぐ新しい話題を作るのです。そんなふうに二者の関係と、三角の関係が今どちらに比重があって進行しているかを意識してみてください、

 


・「ねえ」とか「よう」は二者関係の雰囲気。「善処します」などの適度によそよそしい丁寧さは二者関係の雰囲気を入れない言葉遣い。表情や言葉の調子も雰囲気を伝えるから,ここは上達のしがいがある。

 


・「二者関係で反応する人ほど余裕がない状態です。余裕を作りたければなんとか三者関係にしましょう」←まだこれは分からない

 


・病人の場合、二者関係が大切です。(座禅を見ているだけで癒される関係を例えをだす

 


・「イライラする」「眠れない」「疲れが取れない」などの主訴を、そのまま病気と考えてしまうと上手くいかない。そうではなく、主訴を見た時には「何かの病気」と「その病気と戦っている自然治癒力」の合成と考えるのです。

言いかえれば、「主訴の中に自然治癒力はどう現れているかな?」と考えるのです。

 


例えばガラスを破る、過度な飲酒をする患者さんを見て、それをすぐ衝動行為としてみるのではなく「それによって、本人の気持ちがどんなふうに良いほうへ変化するのか?」とか「なぜそれをすると楽になるのか?」と思って訊ねてみる、そこから精神療法は始まります。

 


自然治癒力が向かう先は、「一日を気持ちよく過ごせて、良く眠れて、晩御飯を美味しく食べてる状態」「考えが前向きで、好奇心が広がっている状態」

 


・自己経験から推測して相手の状況を予測するのが、「思い入れ」。言葉が登場する前の原始的なコミュニケーションではこれで人を理解していた。これは容易く「思い込み」となる。

 


言語によってまとめられた体験を語り、伝えていく関係で、思い入れをすると、思い込みになってしまって大きなズレが生まれてしまう。とはいえ共感にはこの思い入れが必要

 


・自分と相手のどこがズレているかが分かるのが共感ではないか?

 


・思い入れが起きてる時は、相手の人を全体を包み込んで、この人全体を理解し共鳴し、共振れのような感じになっている。こちら側にそのような事がおかてれば、入れ込んでいる証です。その人に対する理解が一面一色になったような感じが思い入れであり思い込み。

そしてズレが見つかって「ああ、なんだ」となり、自分とは異質なって部分が沢山見つかり、それが見えながら、相手の体験のある部分については今までの思い入れとは違った、じーんとする感じが伴うのが共感。「ああ、そうだったのか」という腑に落ちた体験も伴うので、洞察の体験でもある。

 


・思い入りの霧が晴れる時、目の前の覆いを取り払うとき、共感と洞察がやってくる

 

 

 

 


・はじめは思い入れでやって、次に思い込みがきて、それが崩壊してズレが出てきて、そして共感(洞察)という順序を踏まざるを得ない。思い入れて思い込みして目が覚める過程は、できるだけ早く通り抜けたいので、「他人のことは分からん」というキーワードを覚えておきます

 

 

 

・「他人のことは分からんぞ」と思う習慣をつけることで、思い込みを早く脱していくための心構えになる。

「自分では分かった気になったけど、しかしここをもう少し聞いてみよう」が出来ると思い込みから早く脱却できる。「ここがよく分からない」と思えた瞬間に8割以上完了してる、あとはそれを質問するだけ

一見分かっているように思えるけど、分かっていない所を探す。話の中で、重要な言葉、大きな価値を置かれてる言葉を見つけて、そこをもっと詳しく聞かせて、と訊ねてゆく。

重要な言葉とは──ひとつでも思い言葉、何度も繰り返される頻度の高い言葉、四字熟語のようなものやカタカナ言葉(精神修養やアイデンティティ)。これらに注目する。

「あなたの言う【精神修養】とはどんなこと?」と言う感じにきく。

 


・共感をしようとするのをやめる。共感はすることを努めるのではなく、共感ができるだけ早く自分の中に「生じてくる」よう工夫する。

 


・共感が伝えるものは、「自分は一人じゃない」「ひとりで考える必要はない」ということ。「ひとりではない」と実感すらことで安らぐ。

もうひとつは自分の抱えている精神的な苦しみ、肉体的な苦しみに、目を逸らさなくなること。目を逸らさないでいることが出来る。そしてこの二つを土台に、次に自然治癒力が生まれてくる。

 


・人は何かしら「上達したいこと・習熟したいこと」があるんじゃないか?それを訊ねてみるのも面白そう。あなたはどんなことを上達したいと思っているのですか?

 

 

 

・治療者を教育する力を一番持っているのは、思い入れられてる患者さん。だから患者自身の意思をどんどん治療者にいってもらえると成長する。なのでこう言う「あなたの主治医(支援者)を、あなたをよく治せるような人に育ててください。主治医(支援者)を育てるのは回り回って自分のためですよ」 と。

次に「あなたの主治医は、言葉を選んで喋らないほど弱々しい人ですか?」と聞く。すると患者も「あっ、主治医はそんな弱々しいしい人ではない」と気づくわけです。この質問の背景には、この患者さんは「自分の気持ちを抑える事で平和な関係を築こうと学習してきた人生の歴史があるのではないか?」を推測して言ってるわけです。

 

 

 

・言葉にならない体験を作ってあげる、あるいは体験することは、重要な治療となるだろう

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

・情報を隠し立てないでオープンにするほど操る要素が減る。そしてあたたかい雰囲気が波及する。情報の公開をしぶると操る要素が増える

 


・「知る」ことが精神療法になる。自分は普通だ(平均化)や自分はひとりではないのだという感覚が生じるからだろうか?

 


・何か聞かれた時、隠したい気持ちをいう。なぜ隠したいのかという事情を公開して、あとは言わないことにする。すると納得する。

 


・「知らせる」とは、こちらのお任せされてる部分を減らし、引き受けない行為です。これを踏まえた上で、「その情報を知った相手の潜在性を考えて、できるだけ知らせる」ようにします。

 


・全経絡の気功の示唆

 


・選択肢が広がると豊かになるが、選択する力がないと困ったことになる。選べないので

 


・現在で何か一つ観察したら、それで未来を推測し、過去を推測し、それで再び現在を見る。

 


・問いにおける患者の精神の弛緩状態を観察する。

「外に出たい?」と聞いて「出たい」と言ったその瞬間に、筋肉の強張り、目の鋭さが和らぐのか、それともエスカレートするのかで未来を推測できる。

具体的なイメージによる問いかけ──「外に出るとしたらどこへ行きたい?」──によって、本人の生理状態が安らかな方向へ行くか行かないか。

 

 

 

・強張るなら、ストレスを増やす、訓練ということ。「頑張ってみる?」

 

 

 

・以下の問いかけを繰り返すことで未来の推測の訓練となる。

「こんな時わたしは何と言ったでしょう?→あなたならこう言うかも→こう言いました。そしたらその人はどうなったでしょうか?さて何が起こったでしょう?」

・ケースカンファレンスの流れにそれぞれの考え方の癖が出てきてこれが役に立つ。

 


・「何となくそんな気がする」でやってみて的中するのが臨床力の高さ。

 


・無限の変化に対して、無限の変化で応じることができる。「何となく」そうしてみてそれでよかったなと言う感じ。

 


・目の前の固有への近未来を予測したいというロマン。

エビデンスは目の前のケースについての知識ではない

 


・技法を無意識化する、マニュアルはその反対

 


・薬を相手に向けた時に、「あ、いい」と感じるか、「いや」と感じるかでその薬がそのケースに適してるかわかる。

その薬を、目を閉じた状態で、徐々に顔に近づけていき、そのときの感じで判断する。いい感じか、悪い感じか。「うっ」となるか否か。

 

 

 

・「あなたの自立のために、ちゃんとこちらの言うことを聞いて」は自立とかけ離れた治療になってしまう。自立のための奴隷制

 


・患者の考えやアイディアをきいて「どうしたらいいのかな。私はこう思うけどどうかな?」と伝え返す」

 


・何か物事が起こった時に、本人の資質が現れるので「その時、どしましたか?」と聞いて資質を探る

 


・同様に「この時はこうしなければいけません」という指導はあまりよくない

 


・資質が引き出されるのは気分がいいし気持ちがいい。どんなに小さなことでも自己実現となる、逆に資質でないものを伸ばしても嬉しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・自らの資質がいまの活動に生かされて発現してる時は、生き生きとする。健康

 


・せっかく自然治癒力が出てきても「早く、早く」とせき立てられるとダメになってしまう。

 


・中心線があるかないか

 


・バウムテスト、人を見た時にその人をバウム(樹)だと思って見る。こちらから見て右側が未来、左側が過去、芯があるか、実り豊かかをイメージする。そして的中させる。

 

 

 

・背骨に中心線、芯をイメージして、この芯に五感の外部刺激をいれるイメージをする。すると対人緊張やリスカが激減する。

同様にここから声を出すのもよい。また自分の内的感情や内的な刺激もこの芯に入れてみる

 


→私なら上空の聖霊が、外部刺激を引き取ってくれて、内的な感情や思考も吸い取ってもらうイメージがいいかもしれないを

 


・全身がゆるんでる状態、どこか緊張してる状態を察知できればいいね

 


・心と体どちらにも通用するような言葉を、たくさん使う。「考える」は身体に影響しないような雰囲気があるから「そのとき忘れないでね」と置き換えてみたりする。

 


・「楽だ」や「うきうき」「ふわふわ」など心と身体どちらも参与してるような言葉をたくさん使ってゆくと、相手が心と身体どちらの言葉を使っているか?のセンスも磨かれてゆく

 


・外来に来てて維持投薬をしてる患者さんに、「今日は何も質問することないけど、あなたの方で何か質問があったらどうぞ。特に何もなければ、いつもの通り、薬をあげるのでいい?」というのはサポーティブな言い方。

無理して「近頃どう?」「仕事は順調?」など話したり質問しなくていい。特に何もないなら、何もないという。何も聞き出されないし、聞きたいことには答えてくれることは相手にとっていいこと。

 


・本人が「進みたい方向」に、「進みたい分」だけ進んでゆかせるようにする。

 


・双方向性の話し合いにより、視点が増え、増えることで話の内容が変わってくる。結論は変化するこのアドリブ感が楽しい。瞬間瞬間が新鮮です。

 

 

 

・花にとって蝶々と人間との関係は違う。アフォードされる要素が異なる。

 


・二人のあいだにどんな関係が流れていて、このままだとどう移り変わるか? そしてどう移り変わるのが望ましいだろうか? 「関係全体」をよき方向へ変えるためには何をすればいいか?

 


・その関係に充満してるフィーリングを(言葉にせず)味わって、味わったそれを表情や仕草などの非言語で二人の関係に投げかける、ことは事態をよい方向へ向かわせるかもしれない

 


・悪いような感じのフィーリングをじーっと味わってみると、「つらいね」「不安だね」と自ずと言葉がでてくる。自ずとそこに現れてくる言葉をキャッチして、相手に伝え返すことはよいかも。

 


・治療という世界は、頑張れば頑張るほど、学問的正しさ(論理的記述)から遠ざかってゆく。

正しさ→デジタル、断定、輪郭がはっきり、非曖昧 

 


・学問的に正しいことをしてる先生は、大抵治療が下手。

 


・アニメもそうか、概念の世界、言語の世界で見ると体験が薄まるのだなあ。フィーリングで感じ取ってゆく読み方が望まれるかも

 


・困ってる人に最初に出会ったとき、その状況に触発された行動は素人っぽいものでよい。自分の中から素人的な「助けてやりたい」という気持ちがでてこないとおかしなことになっている。

 


・困ってる人と最初に出会った時点で専門的な考えになってたら、自分がAndroidのようになり始めているぞと考えてみる

 


・掃除のおばさん、握り飯

 


・相手のことを分かろうとして、ああかな?こうかな?と問いかけて相手の発想を促してゆくと、(「先生のいうその通りです」ということは殆ど起きなくて)こちらが意図してないものを「そうだ分かった!」と相手は思いつく。そっくりだったら信仰になる。そして「先生そうじゃなくてこうだよ」と伝えてくれるのが創造的な精神療法。

 


・気づきは本人の中からわぁーっと立ち上がってくる。

 


・「こうしてはどうだろうか?」とやる事が全て空振りであったとしても、向こうの中に何かが立ち上がってくるきっかけになりうる。

 


・こちらが理解してゆこうとする姿勢を持ち続けることで、本人の中に「自分で自分を理解しよう」と動きが触発されてゆく。

 


・「こっちの言うことが正しい」とやる精神療法は教祖的

 


・しばらくその型を維持することによって、型にはまる前よりも、よりその人の個性が現れてくるような、本人の自己実現(資質の発露)をインキュベートするような精神療法。(行法の世界をイメージ)

 


・病気もまた型と捉えると、病により没個性化して、けれどその病にはまるよりも本人の個性が立ち上がってくることもあるのかもしれない

 


・同じ日常が続いているという感覚を覚えたなら、それは命が眠っている。リフレッシュすることで生き生きとする。

 

『神田橋條治 医学部講義』を読んだメモ一覧

 

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・病とは流れである。ずっと流れている。そしてある時点で患者としてやってくる。これまでの流れを「どういう流れなのかなあ?」「病気全体がどういう流れななかな?」と思って流れを見る習慣をつけると、流れへの感覚が養われてくる。

 


・精神科では自然史を使う(他の科のように生理学的知識に乏しい)

 


・「これをしたらこう変わってゆく」と考えること。

「この人はほっとけば治るだろうか?これからこうなり、こうなってゆく道筋の途中にいるようだ」というふうに考えれば、またちょっと感受性が高まってゆく。さらに「こういう治療操作を行えば、こういうふうになりそうな感じの人だなあ」と考える

 


・今から目の前のひとの未来が、少しでも良くなるよう関わる。そのために診断がある。道筋を決めるために診断する。それは分類するためじゃない

 


・覚悟を持って「厄介さ」に付き合うと案外すっきりする

 


・今に未来へと広がる芽がある。それを感じることで全てが出揃わなくとも判断できる

 


・二者間系の病理、薄い関係の時は大してその不安定性が目立たない。

付き合いが濃くなるにつれて不安定性がどんどん大きくなってくる。2者関係が濃くなってきて、関係の中にその人の全体が投入されたため ボロが出てくるような感じで、その人の本性が現れてくるような形で不安定性が強くなってくる。

どういう形で強くなるかというと

1つは激しく求める。関係が近づいてくるともっともっと求める。一週間に一回が、毎日となり、ずっと一緒にいたい、ずっと見ていて欲しいとなる。

 


もう一つは疑うのね。安心できない。一週間に一回会ってたのがずっと一緒にいるようになったら安心が7倍!というふうにはならない。むしろいつも一緒にいるから自分に注意を向けてくれないのがより分かってくる。心配の種がより一緒にいることで増えてくる。

これへの因果仮説は、親子関係の予測のつかなさ、安心のなさ由来を精神科はよく考えるとのこと。

 


・予測がつく、対象恒常性、安心、信頼──により、単に勤務時間がしっかりしてるだけでも患者の状態がよくなっていく。逆に不安であれば良くなりにくい。

 


・けれど本物の境界例の場合、もっと信頼させようとこちらが頑張りすぎるとかえって疑心暗鬼になり泥沼となる。どうすればいいか?→治療関係を一定以上濃くしないようにする。濃くすると依存と不信の悪循環がわーっと出てきます

 


・もうひとつは疑う気持ちを移す、疑う気持ちを外在化し、客観的に眺められるようにする。「疑いの中に留まっていた、疑う気持ちでいっぱいだった私」から「それを客観視する私」を少し抽出して、ここに「理性的な部分」を作ってゆく。この作業が二者関係の治療の眼目です。

そしてこの「理性的な部分」を治療者が手を繋ぐ、繋ぎ方は情緒的だと元の疑いに戻ってしまうので冷静に冷たくつないでいく。(おそらく理性的合理的論理的振る舞い)、そういう関係に留まりながら、「疑う」気持ちを一緒に見ていく

 


(これメンタライぜーションじゃない?)

 

 

 

→あるいはネットのチャットの距離感は遠い。どんなに信頼してるといっても不満感はあれど混乱はしない(しかし現代ではもう当てはまらないかもしれない

 


・一生懸命尽くしてあげるとますます疑うようになる恋人は、対象恒常性が低いひと

 


・症状をみたら、それを全面的に抑え込もうとしたり、全面的に無くすことを目指す治療ではなく、「そこで闘っている生命体の努力を察する医療」をしてください。

 

 

 

 

 

 

 


自然治癒力を主役に

 


プラセボ効果は、自然治癒力の純粋な現れである。心身相関の確証でもある。このプラセボ効果を援助し妨げないことが、治療の効果を高める。(これは治療者との絆によって発動されるため、治療者は「絆の現実を提供する」ことが重要である)──これがあらゆる精神療法の基盤です。

 


絆の現実を提供するとは、患者の疑う気持ちが縮小していくような現実を提供することと言えます。

 

 

 

・「絆の現実」は雰囲気とデータから成り立つ

治療者の発する絆の雰囲気(=接する態度・音調で構成される)が最重要である。協力して、患者の苦しい訴えを解決する共同作業の姿勢が、より一層絆の雰囲気を生み出す。

データ(言葉・数字)は、絆の雰囲気に乗せて伝えられた時のみ、治療の効果を高める機能を持つ。(絆の雰囲気に乗せて伝えられない場合、治療の効果は高まらない)

 


・絆の希求に応えるのが、絆への姿勢である。(絆とは「信じること」)

それには次の二点が有用。

①連続のイメージ

人間関係はすべて会って別れる形をとる。そして別れている期間に連続のイメージが維持されているのが、絆の事実である。よって次の工夫が役立つ

1.「出会いの瞬間」と「別れの瞬間」に、一瞬、目と目をあわせる

2.前回の出会いの日時を確認して(カルテを見る)、その時から今までどうしていたかを問う

3.次回の予約を確認し、緊急時の連絡方法を教える

 


②相互コミニュケーションの志向をする

どの瞬間も相互交流を意識する。

例えば、絆の雰囲気を送りながら採血し、よく聞くことなど。

相手が交流を遠慮する場合もあるので、ときどき「なにか質問ありません?」と問えば、治療者が共同作業のための交流を志向していることを伝えられる

 

 

 

否定表現を2つ続けた言い方は、「服薬し”ない”と、よくなら”ない”よ」等は、本質的に脅迫文である。「何々をしなければ何かするぞ!」というかたち

また「どうしてAをしなかったの」は本質的に叱責の形である。

 


精神療法のルーツは、「患者の内にあって、プラセボ効果を妨げている誤った学習の、除去技術の姿勢」である。

(一体なにがこの人の自然治癒を妨げているのかな?)という視点と考えていいか?

 


・あらゆる治療は、自然治癒力をに依存して行う意識をもつ。

・「絶望」は自然治癒力を停止させる。

 


・臨床家というのは、その個体にとってどこが正常値なんだろう?と思考する。「鵜(う)の真似する鳥、水に溺るる」

例:「血圧はどのくらいが一番いいんですか?」「朝目が覚めて、頭の気分がいい時に血圧を測ってください。それがその人の一番いい血圧です」

 


自然治癒力を土台にした治療では、何か治療操作したあと、状態が良くなっていれば、それは患者の「「自然治癒力を保護している環境としての治療」がまあまあいいとこ行ってるようだから、このままでいいんじゃないの」と考えるため、「このままで様子を見ましょう」という言葉がでてくる。

逆にこの時、もっと薬(治療操作)を投入すればもっと良くなるかもしれないと思い投入してしまうと患者のためにならない。

「このままで様子を見ましょう」と言ったあと、また検査して、検査結果が良くなければ、そこで方針を考える。良くなっていればそのままで通すのです。

「積極すぎない治療」を目指す。

 


・信じるに足る関係の実体は、雰囲気とデータです。

正確なデータだからといっても、やはりちゃんと保護して、その人と絆を作って「こういう危険があるけれどもやりましょう」という、危険を共有する関係の提供がなくて「はい、これこれだけですよ。いいですか?嫌ならしませんよ」となったら全然絆にならない。

 

 

 

・絆とは、個体が生む内的イメージ

 


・将来治療が終われば、本人の心と、本人が有する自然治癒力との共同作業だけが残る。そして新たに養生がはじまる。そんな未来に向かって、治療者の活動と、患者自身の心の共同作業がある。

 


・「私の言うことを聞きなさい。私に任せれば治るから」と言うのは、(患者側には任せたい気持ちがあるから)そう言われるとすごい誘惑になって従順になるけど、上手くいかなかった時は「甘い言葉に騙された!」といって紛争になります。そこが難しいね

 


・だから自然に発生してくる依存的な傾向は受けいれてあげるといいけど、それをさらに掻き立てて膨らませるようにしてらはいけません、でないと訴えられます。

 


・患者が一生懸命何かやってるということは、自分なりに自然治癒力を強化・共同作業をしようとしてる自助活動や工夫です。それを「だめだめ、そんなの迷信だ」と言うのではなく、「まあやってごらん」といい治療意欲を鼓舞します。

鼓舞することが、自然治癒力、患者の養生心と治療者が協力しているというプラセボ反応の賦活された状況になる、

 

 

 

・自助能力を助ける援助をする。「自動車を貰うよりも、我々が自動車を作れるようにして欲しい」

 


・精神療法とは、「自助の能力を本人の中に育てる」こと。

自然治癒力と馴染む学習をする。相性のいい考え、行動、生活パターンにより、自然治癒力を保護する。それら「気分がいい」ことがサインとなる。そうしてると快食・快眠となり、「自分らしい」という感覚が出てきます。生活に余裕が生まれてくる。

 


(週に一日登山することが本人にとってリフレッシュになるならそれは精神療法となる)

 


・心は、文化に適応するように考え方やパターンを学習するが、それが自然治癒力に無理をきたしてゆく。

 


・その個体にとって誤ったパターンを取り除く。脱学習。視点の変更、価値観の更新

 

 

 

・「頑張る」というのは、「目的のために辛いだろうけども一生懸命やって、少しぐらいの無理をしなさいね」という意味。病にかかってる人に頑張れというと、死にかかっている状況でそれでもムリをしなさいと言っているようになるので、禁止。

 

 

 

鬱病とは、脳という臓器機能を極限まで使い続けないとならない

 


・社会/集団/文化の価値観からの離脱が、精神療法の主たる仕事。心を不自由にしている考えの脱学習、脱洗脳、脱構築。世界観ともいえる。

 


・「脳(身体)の自然治癒力を十全に発揮されるような、心のあり様を作る」のが精神療法。

 


・できたら言葉を使わないで、自由度が上がるような、心のふわふわ性が進んでいくような精神療法が一番いいです。

とはいえ精神療法は言葉を使う領域が広いので、規格化されてない、詩人のような自由な使い方をするとよい。川柳と精神療法となる。

(要するに世界のおわりとハードボイルド的なもので、エンタメではなく詩文性が高い小説を読み続けるのも効果があるのはそういうことだろう)

 


・人との関わりの中では、言葉がないほうが、関係の治癒力が濃い

 


・精神療法は、心のふわふわ性を不自由にしてきた学習パターンからの解放を目的にして作られたものが殆どです。しかしふわふわ性とは不安定でもあるので、精神療法は心を不安定にさせる力を持ってます。

統合失調症のばあいは、脳がふわふわしてるので精神療法するとちと危険。ふわふわしない方が良い人が動きやすくなってしまう)

 


自由連想法は、自由に連想させることでかえって本人の囚われてるもの、不自由な部分を見つけるのか目的。不自由になってる考え/部分を見つけたら、治療者は解きほぐそうとせず、「不自由になってるね」と注目するだけでいい。すると本来自由でありたい心は、それをなんとかしよう、離脱しようという動きが自発的に動きます。ここらにとって不自由なことは不愉快なので、そこに注目して気付かせればいいのです。

安全なのは、この不自由な考えに対し、葛藤する考えが湧いてくるのがよい。そして葛藤すると考えが湧いてきたら、心のふわふわ性が自分の力で治療を始めていきます。

治療し始めてきているこれを消そうとはしないでください、「葛藤の解消」「葛藤の解決」ではなく、両立不能な二つの考えを抱えていられる葛藤の状態を目指します。葛藤してること自体が、心のふわふわ性のありようであります。

 


・脳が自在に活動してる指標として、「好奇心」は信頼できます。勉強ができるようになったり、何かが出来るようになっても脳に余裕がないと好奇心は生まれないからです

 


・精神が健全な状態とは、小さな頃からずーっと蓄積されてる記憶を「いつでも」扱えること。inputされてる情報が、自在にoutputできることが健康なのです。

 


・脳のキャパシティが分かるフィーリングとして「苦しい」「楽」という言葉が良い指標となります。

 


・好奇心が行き過ぎた躁病の患者に、鎮静すると薬を与えたあと「だいぶ落ち着いたね」と言ってもピンとこないが、「だいぶ楽になったね」というとしっくりくる。

 


・患者をじーっと睨むと、何か苦しい感じ、邪気がわかるので、そこの部位を例えば膵臓を検査してくださいと言えるようになる。(漢方、気功)

 


・感覚を研ぎ澄まして、研鑽してゆくことの大切さ

 


・患者の身になる、もう少し分かるといいなぁ、慈悲心──これらは医療の客体化、普遍性の獲得、主体性の排除によって遠ざけられてしまう

 


・その人の生体(あらゆる資質)と、その人を取り巻く文化が調和すると健康。

 


・精神療法の基本は、ノンバーバルを伴った癒しの構造なの。

 

 

 

・治療者が自分の好みに合うよう精神療法を創造する。その創造したものは本人にとって極めて健康的だけど、他の人には分からない。なので精神療法の本は「この方法はこんなタイプの人に合うんじゃないだろうか?」と考えながら読むといいです。

 


・「もしもウサギにコーチがいたら」大和書房

 


・その個体ができること、常々やってることの延長線上に一番しやすいことがある。

 


・今いいと言われてるものでも、長い時間かからないとそれが本当にいいか分からない。

 


・強力な精神療法には、強力な副作用が生じる。例えば行動療法など。

 


プラセボエフェクトはまず心に働きかける。

ゆだねる、湧いてくる信頼、安心が大事。「この先生に任せてみようかな」と思わせる一つの方法として情報開示がある。それは「共に」と言う感覚であり、一緒にということ。作業の中に一緒にいるということ、安心の雰囲気。血圧を一緒に確認。

 


・いつもできるだけ、今この瞬間を、その場で治療者と患者が共に観察する。「共にある」という感覚。診断でも治療でも行う。

治療のイメージはこんな感じ。

「この薬はここからここまでの間で、増減を自分でやってみてください。その結果をまた知らせてください」

「この薬にはこういう副作用があると言われているんだけど、あるかどうか見ていてください」

──私が出した薬をちゃんと飲んで、その結果を私が判定するから。と言わないで、(危険のない範囲で)薬を少し増減することと、治療の効果判定を患者に委託すれば、患者は治療行為も共にやってることになります。

 


他には「この本を見て自分で副作用について勉強してみてください」(患者が薬に興味あることを前提)

 


・子どもと接するときは、同じ位置に目を持ってくる。

これを進めると同期になる。

 


・「身体さん、あなたの声を聞かせてね」といつも自分自身と相手に言うようにしてください。身体の声を聞く。身体という完成されたシステムを尊重してやっていく。

 


・生命体に直接介入しないで、最も好ましい環境調整をすることが、精神療法の原点。そして環境と生命体の間に、学習されたパターン(行動)がある。学習とは繰り返し繰り返し使うことであり、二度と使わないなら学習とは呼ばない。

 


・私たちは、何かを覚えては、その一部分を破壊し修正していく。

 


「そういうふうに考えるのは正常な考えで、全く間違えていない」(平均化)

「〜それが効いて来れば、まだ先があるから、Aをせず、それまで待たんかね」

「あなたがいじめられて悔しくて死んでも恨みを晴らしたいという想いは、気持ちは、全然病気じゃないのよ。そうじゃなくてフラッシュバックが病気だから、これを治そうね」と言う。

看護学校に行けるようになったら「あなたはいじめられた辛さが分かっているから、病気の人の辛さもよく分かっているだろう。いい看護師さんになりなさいね

 


・「よくできました」という、様々なことを本人の一つの業績として価値を与えて認めること。

「あなたは自分で自分の病気の本態を掴まえることができたねえ」といった。そして「自分はこれからどうしたらいいのかという目標もできたね」と。

 

 

 

・知識を与えること、本人が知らない情報を得られることは「技術のいらない精神療法」

 


・病人が病についての知識を得る事で、それまで一体であった病人と病が、切り離されて、治療者と一緒にその病を眺められることがインフォームドコンセントの目的です。

 


・情報を共有した二人が、病(対象)について意見を出し合えることは重要。

 


・よく説明をすることは精神療法。(三本の採血管)

 


・(自身の信念体系すらも他者のもののように眺められることは、賢さの一つといっていいと思う)

 


・相手にネットで調べてもらって教えてもらう雰囲気を作る

 


・こっちが教えてやって対等になるというのは、どこか対等ではない。しかしこっちが教えてやって、相手からも教えてもらうならば対等となる

 


・何でも、本人が達成することがよい。発見の喜び、達成感を覚えること、それはあまり的中させすぎえもよくないのかもしれない。 

 


・こちらが環境を変え調整しても、向こうからしたらしてもらっただけです。しかししてもらうだけだから、本人はやったー!とは喜ばない。可能なら、本人自身が環境を変えたり選んだりできるようサポートする。

しかし問題がある。それは「能力がないとくだひれて参ってしまう」のと、「環境を変化できるのは稀なので折り合いをつける」こと。

なので、自分で環境に折り合いをつけるために、そのやり方を発見するのがいい。

折り合う方法をこっちが教えると教祖様的になってしまうので、「これはどう?」と示唆だけを与えるようにして、後は本人でやれればうんといいやり方だ。

ただ能力がない人に「こうじゃないの?」「あなたの人生とはね」と言っても参ってしまうだけなので、本人が「自分でできる方向と難易度」に合わせてやるのが、自尊心を強める精神療法です。

 


能力がないのに「君はオリンピックに出れば自信がつくだろう」と言っても参ってしまうでしょ。出来ないのにさせられたら、挫折体験だけ増えていきますから。

 


・だから本人の中なある「潜在力」を読めなきゃいけない。潜在力を読めてその範囲内で主体性/自尊心を高めなければいけなき。これが診断です。

 


・『良師は規矩を教える』

(物差しを教え、弟子は師匠とは異なる世界を築き、教わった物差しを捨て、自らの新しい方法論を打ちだす。)

 


・自分で発見できるようにしてあげること、自分で勝手に出来るようにしてあげることが『物差しを教える』こと。

 

 

 

・全ての病はそれぞれに特有の自然経過があって、その自然経過を把握して、それを少しでも応援するのが本当の治療です。

 


・自分で何とかして持ち上げようとする生体の営みに対して、少しでも良さそうなことをしてみよう、というのがメインとなる治療なんです。

 

 

 

・できるだけ、足したり引いたりすることは少なくする。その人が持っているもので、なんとか身を立つようにしてあげる。つまり本人のやり方を認めてあげる治療になる。「それはいいね。そっちに行けばいいよ」と言う雰囲気

 


・頑張ることは緊急の時は必要だけど、これは強烈に足したり引いたりする活動なので、頑張ることを目標にしたり日常化させてしまうのはまずい。過去形である「頑張ったね、もう休んでいいんだよ」の雰囲気はOK。

 

 

 

・もし「頑張れ」という言葉を使うなら、終了時点を設定しないといけない。エンドレスに頑張ったら燃え尽きてしまう。

 


・本人の動きに大きなマイナス点を付けないようにするのが、精神療法の極意

 


・「治療者」「患者」「問題」というイメージでもって接する。患者内の問題を外在化し、その問題を治療者と患者は二人で眺めて、これからこれをどうすればいいかな?と話し合い意見を出し合う雰囲気を作る。一緒にこの「問題」を解決する意識が必要です。患者の問題を解決するために、患者とチームを組むイメージです。「問題解決のために、一緒にチームを組んでいる」と言う気持ちが、お互いにあるように工夫する。

 


・話し手の中で格闘しているものや、鮮度がいいものは、聞き手の眠気が起こりにくい。退屈しないのだろう

 


・精神療法を実行する時は、必ず「生体をケアし、大事にして、その中で動き始めて来るものを見守り、いちいち手を出さずに、何か善いものが動いてきたら「あ、いいねいいね」とじっと見る」ようにします。見ている人たちが喜びを感じるムードが基底にあると治療になるんです。

(植物の芽を見守るように)

 


・人の命を育み、よりよい方向へと進もうとする意図意欲があるかないかを、見る

 


・ケアし見守られている雰囲気の中で、試行錯誤をしていると少し困ったことが出てきても、ケアされてる側は自分で工夫したりする。そしてやってるうちに偶然何かに気づいて出来るようになったりするんです。

それを見守っているこちら側は「わあ乗り越えた、できた」と感じて嬉しい。

 


しかしやっても出来ないとなると可哀想になるから「ちょっと手助けするかね」と思い、「こうしたらどう?」と助言して動かしてあげる。この時、ケアしてる側に介入的になる部分が出てきて、今までの守ってあげているだけではなく、「関わる」形が出てきます。

介入して相手が何か出来るようになったら、「やったあ」とこちらは思うけど、もし何の介入もせず(子犬や赤ちゃんが)なにかできるようになったらやったあとは思わなくて、ちょっとニコニコするでしょ。見ているだけでハッピーになる感覚があるよね。

つまり介入して助言して何か出来るようになると、「おうまくやったぞ」と介入者側の喜びになってしまうのね。

 


・介入者の喜びは、非精神療法的なものであり、やむを得ずやっているとか、見るに見かねてやっているものであるべきです。

・自分の介入を控えて、できることなら使わないで、使うとしても少ししか介入の技術を使わなんずに、自発的なものが出てくることに「期待」する。

・「介入をできるだけ控えて、そして生命体の持っている自然によくなっていく力に、いつも介入者のほうが一歩譲ると言うことが大事だ」

 


・一番のポイントを探して処方すれば、薬の種類は少なくなるし、生命全体の機能が良くなるし残った部分は自然と治る

 


・自分のやる能力が段々高まってくると、次の段階にいきます。それは「環境全般を利用しようとする動き・こちらに対する働きかけ」が出てきます。助けを求めたり、援助を引き出したり、何かを訴え、活用します。(騙すことや悪事も含まれる)

 


・上等な教育は、子どもの知的な好奇心に全面的に答えをだしてはいおしまいとするのではなく、さらに伸びていくようにすること。

精神療法でも答えや方法を与える時も、答えを出しすぎないで、示し過ぎないで、できるだけほんの少しだけ示すようにする。そしてあとは、この示す行為に対する患者側の自発的な活動に期待する

・こちらが介入して、悪い所を取り除くやり方はできるだけ少なくして、後は生命体のほうに預けていこうという謙虚で控えめな態度は、ケアの精神でもあります。

 


・達成された体験が積み重なってくると、次に同じように困った時は、もう助けを求めないで自分の中にある学習されな記憶を使って処理していくようになる。これを自助能力といってもいい。

 


・小さな一つ一つの達成を積み上げていくことは、相手のためになる。ただし求められたならば

・我々の関係の中で起こった達成の蓄積により、自助能力は育成される

 


・ほんのちょっと介入して→達成による自助能力を育て→「大分手間が掛からなくなった、この人はやれるようになった嬉しい」→また見守る喜びに戻る。いつもここに帰ってくる

 


・精神療法の本質は、何でもかんでも自分でやれるようにすること。(自助能力の育成)

・自助能力がないときは傍にいて助けてあげないといけない、けれど自助能力が身につけばもう我々は傍にいなくていい。いる必要はなくなる。これを目指す。その人が自分の力でやっていける事を楽しみにする

 

 

 

・本人に何かしらの自助能力があると判断したら、「三角形の関係」をしてみて下さい。自分、相手、問題、を眺めるようにして、そこに「参加」させるようにする。問題解決するためのチームを組み、あなたも私もそこに参加できるよ、参加してねという雰囲気を作り、自分でやる治療行為の中に参加させて、意見を聞いて、こちらも意見をいう共同作業。

 


・「同じものを一緒に見て、一つの問題を眺めて、お互いに意見を交換し合う」

 


・治療者もまた生身であるがゆえに

「慈悲の気持ちを保ちながら、相手の内部で何か育ってゆくのを楽しみにしながら、邪魔してるものには控えめに介入する」という理想的なあり方は、やってみようとすると全然出来ない。難しいのです

この問題についての助言は「関与しながらの観察」。

それは「こうしよう」と思いやってるが、それがうまく行っているか判断できないため、患者に関与しながら、患者と自分との間に生じてくる様々な事象について、どこかでじっと眺めている精神が必要という意見。

最初はこれを同時にすることは難しいので、毎回反省はできるから、「関与が済んでから観察して、そして観察してから関与する」。すると段々できるようになってくる。

 


・関与し、観察し、関与し、観察することを交互にやって「これでいいかな?だめかな?」と考えながらやってると、だんだん二つが溶け合って、関与しながら同時に観察出来るようになります。

 


・「関与しながらの観察」と、患者と一緒に何かやっていくことは、めちゃめちゃ楽しい

 

 

 

・マニュアルに沿った医療は楽しくない

 


・ストーリーが作れない診断は、常に後回しにしなくちゃいけない。

(幻聴や幻視が出るなら統合失調症によくある症状だ、オランザピンを処方します、みたいなのはダメ。ストーリーがない)

 


・バラバラな情報を繋いで、なんとか理解しようとする試みが「物語」。

・空想の能力がないと治療はできないし、診断も全然できない。

・解釈し描いた物語は、新事実によって常に作り変えられてゆく柔軟性が必要。

 


・個人の信念体系は、物語と呼べる。その人はどんな物語を自らの中に編んでいるのだろうか?欠落の物語か、もう取り戻せない物語か? それとも希望の物語か?

 


・「元通りに治るとは、また悪くなるような状態に戻るわけだから、それじゃしょうがないよな」

そうではなくてもう再発しないような、もっと健康にいいような生活を工夫して、再建していかなきゃないけない。

 


・数値目標はおかしい。これを達成しても生き甲斐はなく、虚しい。

 

 

 

 

 

 

 


・悩みを悩みだとわかってるうちは健康。しかし「悩むのはしんどいからもう悩まない」となった時に、一見悩みがなさそうに見えるけれども今度は症状となって出てくる。だから精神療法に来る人は、何か症状があって困ってやってくる。

そしてその状態は、必ず心身相関の崩れで起きてきてます。

 


・そこで心身相関を回復させるために、「心身相関が壊れてますよ。それはなぜでしょう?」というと、ここに本人が目を背けている悩みがある。それに気づかせることです。そして困ってる人を悩む人に変えることが精神療法です。(困ってる人を困らない人に変えることではない)

 


・困ってる人を悩む人にするには、「目を開かせる」。問題点を把握する。

そしてその後は、本人が生まれ持っている資質をできるだけ伸びていったという形にしたい。生来の資質が歪められている、無視されている、邪魔されてる所を解放する。

 


・心身一体、自己実現、それらを邪魔する文化という対置。

 

 

 

・心、身体、命を不自由にしている部分を見つけて、少しでも自由な部分を増えるようにするために「訊く」(訊ねる)。自分の理解を深めて、深めた理解を何度も相手に返して、相手の自己理解が深まってゆく。そんな活動はよい

 


ある物語を完成させるために、どんな物語であれば現状と一致するかを見立てようとすることが、的確な訊ねることを生み出す。「もう少し辻褄を合わせるたま目にはわたしは何が訊きたいか?何を知りたいか?」という意識

 


ただ相手側が「何か訳わからないことを根掘り葉掘り聞かれる」「言いたいことをちゃんと言えなかった」となったらいい活動ではない。

 


・その人が今まで工夫してきたものを、できるだけ生かす。その人が自由を求める気持ちが生み出した工夫を、やめて、と言ってもそれだけその世界では貧しくなってしまうから

 


・理論という知的集合体には、他を排除する傾向と、これに従えという暴君的な性質もある。

(理論を持たないものは、全てを受け入れるかもしれない。多くの弊害と共に。

 

 

 

・良い物語に基づいて、納得して、次の行動を選んでゆきたいのが人間である。

(みな幸せになろうとする、しかしそのやり方が間違ってると本人が参ってしまう)

 


・理論をあるひとつの物語と見なすことで、理論の併存性と柔軟性を高められる

「面接法」を読んだメモ

 

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面接者の仕事とは、「一人の平凡な人間が、専門家であると名乗り、もう一人の人間の相談に乗ること」

 


相談に来た人に対し、「私はこの人に何ができるのだろうか?」と自問し、目の前にいる相談者の言葉が著名な人物と同じ重さを持つことに気づくことを心掛ける。

 


本書で学ぶキーワードは、この4つである。

①相談者の訴えを「分かること」「受けとめること」

②「よく見ること」「よく聞くこと」「一緒に見ること」

③面接理論を学ぶこと

④ケースレポートを書くこと

 


優れた面接とは、

①「問題を抱えた人と、専門家として、普通に淡々と話し合うこと」です。

②「自然な気持ちを伴う、ゆったりとした流れのある会話」が出来ること

 


なぜなら悩みを持った人は傷つきやすく繊細なため

 


専門性の行き着くところは、いつも自然体という境地

 


面接とは、「人と人との出会い」

 

 

 

面接での相談者の訴えは、社会性を帯びており、実生活上の問題と深い関係性がある。当面は言葉にしたその訴えを深く聞いていくことで、このことが明らかになってゆく。

──人生上の問題が、訴えに投影されている、という考え方である。つまり、訴えとは、人生を比喩的に表すサインである。

 


それがサインであることを相談者は知らない事の方が多い。面接者はそのサインが何を意味するのかを、相談者と共に分かるまで探っていくことが大切です

 


面接の鍵となるのは、「不在の他者」という概念。面接者の存在が、実生活上で不在ながらも心の中で存在し始め、強く影響を及ぼしている状態のこと。

面接者は面接室の中だけで関わっていると思いがちだがそうではないのだ。

 

 

 

逆にもし面接者が相談者の生活圏にいたのなら、「見守る関係性」は成立しないかもしれない。なぜならそこには利害関係が生まれるであろうから。生活上の利害関係と独立したるからこそ、面接者は悩みを聞けるのだ。

 


面接者にとっての不在の他者とは、助言を請おうとする者、尊敬できる者、となる。ヘーゲルならどう考えるだろうか?ガネーシャ天ならどうするだろうか?といった具合である

 


守秘義務、相手の自己決定の尊重、生命の保護」

 


相談者の人としての尊重を大切にする。面接者が行うことは相手を尊重しているか?という視点が必要

 


・「どのようにしたらこの人がわかるか?」と自問し、相談を「人」として理解することが「分かる」ことに繋がる。この「分かる」とは来談理由を把握し、その問題解決へと向かう道筋が描けることです。相談者が何どう困り、何を求めていてどうしたらいいか?が理解できている状態

 

 

 

誰であれ、面接者も相談者も無意識に未来を読んでいる(この先どうなるかと読んでいる)

 

 

 

「生活史→来談理由→面接経過→問題解決→未来史」

の順がおおまかな面接のながれ

 


相談者の「訴え」と「来談理由」は異なることに注意が必要です。口にしたことが全てとは限りません。なので来談理由は面接者が判断し、言葉にはならない相手の心を察知し、受け取った印象により判断していきます。

 


生活史や面接所見で得られる全ての情報から、真の来談理由を推定しましょう。これを「見立て」と呼び、当面の生活方針を話し合うのです。

 


この見立てとは、その後の面接経過により刻々と変化していきます。紡がれた物語が変化するに従い、その都度、方針も変わってゆくということです。

 

 

 

面接者が心で感じたことが、相談者の心が投影されたものとして考えてみる。

 


来談時は誰だって不安です。緊張しているでしょう。このことを知っておいて和らげる工夫をするのです。相手に見つめられることはあっても、面接者は見る時間を少なくしましょう

 


「自己イメージの明確化」と「自己能動感」の2つの出現は、面接でのゴールの一つ

 


相談者もまた面接者を判断します。人生の秘密を打ち明けるな値するか、心を開くことの不安によりその見極めはシビアです

 


面接者は相談者の長所・魅力を読み取ろうとする努力が必要です。彼ら自身が気づかない善き部分を発見しましょう。すると可能性が開かれてゆきます。

これは簡単ではありませんが、極意ともいえる視点です

 


体系的観察と、記録に残す習慣を身に付けましょう。訓練しましょう

(構造化された観察ともいえるもの)

 


→「外見、印象、姿勢、態度、表情、話し方、思考形式、感情、気分」──をそれぞれ見て言語化出来るようにします

 

 

 

面接で得られる「矛盾」に気づいた時、そこに重要な課題が隠れてるサインです

 


面接者は、相手の問題解決の物語り形成を手伝うのです

 


我々はチェックポイントを作り、かつ構造化した観察眼を訓練し、体系的な記録を残すことで上手くなる

 


面接とはこの五つ

①見ること

②聞くこと

③対等な出会い

④専門的関係

⑤相手の物語を読むこと

 

 

 

よく聞くことと、ただ聞くことは違う

相談者にとって「目の前に生きた人間がいて、他者がいるという手応えがあってその他者が自分の悩みを共有してくれるてる実感」が感じられると、この人はよく聞いてくれていると思うのです。

ミラーリングに通じそうな感じだ)

 


つまり他者という異なるもの、自分ではないもの、一体化していないものが、それでも己を分かろうとしてくれる実感、それでも一体化しようとしてくれてる、その体験が面接には必要と考えられる

 


相手と自分が「一体感を感じている」ことが、よい聞き方。しかしこの距離感はほどよくすることも大切。対等な関係において遠すぎず、近すぎないことが挙げられる

 


・他者は、力として、抵抗として出現する。目の前の存在が思いのままにならない事実が他者性である。このことを受け入れることが他者理解のベースとなる

 

 

 

 


よく聞けていない時は、以下の三つが当てはまる

1.ただ聞いているだけ

2.情報取集が勝り詰問風になっている

3.相談者が面接者に支配されてしまうという感覚を覚える

 


よく聞くこと

①構造化された観察

②対等な関係

③適切な問いを立てること

(構造化された観察に基づいて、問いを立てるから、心の構造・輪郭が見えてるくると相手は感じるとのです)

 

 

 

適切な問いを立てることは、深い人間関係が形成され、かつ相談者に洞察が生まれる。

 


問いを立てるには、「おおよそよ見当」が必要であり、そのためには専門理論と経験と技法が凝縮されてなければならない。

その際、相談者の話を邪魔しないよう、要所要所で、新しい問いを立てていくのです。

その時の、その問いの「意外性」が、相手に他者が共にいるという実感を与えます

 


相談者が自分の考えがはっきりしてくると、自分のことがはっきりしてくる感覚になっていく。こらはよいこと

 


人は困難な状況では、自分を見守ってくれる他者を必要とする。(あれしろこうしろと言わない他者を求めている)

 


見守ることとは

①客観的観察

②見守る眼差し

 

 

 

 


浮動する視座、第三者視点、目撃者、聖霊の視点で相手を見ることを心掛けることで、それが見守る眼差しとなる。

これにより面接者と相談者が、生活史や現状を「一緒に見る・共に眺める」体験が生まれてくる

 

 

 

生活能力が低下している者の相談では、本人は「できない事が多すぎて」、どんな助けが必要かも訴えられず、助けて欲しいとも言えず、ただ面接に来ることが唯一の救助行動だったりします。

 

 

 

人と人との出会いは全てが新しく、一回限りであり、誰もが初心者となる。

 

 

 

相談者と接して感じる「重さ」に気が付いたら、それは「対等な人がいる」という感覚である。それを教えてくれている。この他者の力を感じ取れならば、相手の方が正しい点に気がつけます。これに気がつくと深い会話とも繋がる

 

 

 

面接では「ここにはいない人との関係を話し合う」のです。

(面接者と相談者の二者関係から「不在の他者」を扱う技術が問われます)

 

 

 

相談者とは日常語で話し、専門語で思索していきます

相談者には専門語は使わないようにする。

 


ある人を「分かった」と感じる時は、自らの中に相手の物語が生成されたというのと。

 

 

 

無際限性とは、人は際限がなく、無限であり、捉え尽くせない存在を示す言葉。人は分からないものであり、謎である──こう考え相談者と接すると、自分の自発性を認めてくれたと感じるであろう。

(無知の姿勢と繋がるものがある)

そしてのの無際限性のままでは、進まないので、これを一つの物語として有限なる言葉にする。しかし常に、物語にはならなかった部分に思いを馳せる必要がある。残余

 

 

 

面接者が見出した、相手の物語が面接の経過によって破綻した時、そこに「意外性」の体験が生じる。すなわち驚くのだ。

 

 

 

人は自ら紡いだ物語に縛られ、それを真理だと見做す存在である。例えその物語を抱えることが苦しくとも捨て去れないのは、それに「痛みと不安」が伴うからである。

新たな物語を紡ぐには、「見守る眼差し」「一緒に見ること」による信頼関係が必要である

 

 

 

人は何故生きるのか?といった(本人にとって)答えの出ない、けれど避けられない問いを受け止めるのが心のお仕事です。

例えその答えを知っていても、「答えを知ってるよ」という態度を示せば相談者からの信頼は失われます。

「相手の苦痛に素直に共有すること」がここでは求められています。

「それは私にも分からない、だから一緒に考えたいな」という態度は最良です。

 

 

 

物質主義の世界観では、自己洞察が深まれば生きる意味をなくしてしまう可能性が高い

 


相談者の「問いかけの重み」を感じることが、対等な関係へと繋がる

 


相手の一時の防衛に寄り添う。それは相談者が「解決不可能(困難)」だと感じているならば、それをますば一度尊重する。(例え面接者が解決出来ると思っても一時の脇に置いておく)

 


面接の第一段階

訴えに背後にある真の悩みを解読する(サインの解読を行う事自体が、訴え。受けとめることに繋がる)

 


「明確に答えの出ない問い(人生の課題)」が見え始めたら、この答えの出ない問いを「受けとめ」、「それは私にも分からない、だから一緒に考えたいな」と提案をするのが第二段階です。

そこには見守られている感覚が相談者の中には芽生えてくる。

共に眺めること、そっと背中を支えながらの雰囲気で。

 


 

 

 

 

・共感という言葉に値するのは、「相談者の抱えた解決不可能な課題(主観)から目を逸らさなかった時」です。その困難から身を引かずに「一緒に見ていきたいな」と言い切れば、それは真の共感と言えるでしょう。

 


「分かるよ」などの安易な共感は、憐れみとして受け取られるので注意である。

 


そしてあまりの相手の重さに喘ぎ、たじろぎ、何故私がこのようなものを背負わなければいけないのか?自分の人生ですら大変なのに、とエゴが騒ぎ始めたらそらは「目を逸らしてはいけない転換点」の合図である。必要なことはその困難から目を背けないことである。

 

 

 

,面接者が、「相談者の答えの出ない問い・解決不可能な人生の課題」にいつか気がつくであろう。気が付いたら、正直に、素直に、相手に知らせることを徹底してください。

 

 

 

このて相談業の本質は、『砂浜の足跡』『バクティ』『聖霊の眼差し』である。すなわち見守ること、自由に自己決定させることと言える。

それだけでいいのか?と思われるかもしれないが、これが大きな大きな貢献となる。問題を解決することが最上ではないのだ。見守ることが徹底したとき、それは相手の生きることの推進力となり、希望の種となるのだから。

 


「私に出来ることは無いかもしれませんが、何があっても見ていることならば出来ますよ」と伝える決意があるとよい。

面接者の心に負荷がかかっても、いつも通り淡々と話し合いを続ける約束となる。

人の苦しみを直視することが、心の専門家といえる。(しかしそれは大変な危険なことでもある)

 


相談者が「自分で考えること」は、このような見守られている環境によって現れてきます。

『スクールカウンセラーへの助言100』を読んだメモ

スクールカウンセラーへの100の助言

 

 

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・「〜したいな」。自分の気持ちを柔らかく表現できる


・「できない」。一つ言うたびに相談者はバイオフィリアを減らしていく


・「実は」と切り出されたら、それは大切にきく。なぜならそれは本人にとっね隠された情報であり、情報の出し入れによって関係性を構築しようとしており、その多くは良い関係にしたいという願いからこの言葉は発せられるからである。


・「私はここに座るね、あなたはどこに座る?」→選択の尊重とくつろがせる表現をさりげなく出来る


・「緊張する? ここで早く打ち解けようとしなくていいからね」と


・カウンセラーは物語と一緒じゃないか!物質的現実をこれらは直接的に変えられず介入できない、けれど、今をしのぎ、未来へとつなげることもできる。しのぎ方を身につけることで開かれる可能性がある。


・内側を支えるものはあるかと聞いてみる。そして相手の重大なものがわかったら、「それはあなたにとってとても重大だね」と確認してみる。


・瞬間瞬間、今この場での自己開示

(今突然自分のことを訊かれてびっくりしたけど嬉しい」とか、「今それを聞かれてなんとなく話したくないという気がしたんですよね。どうしてかな?」とその瞬間の自分の気持ちを開示していく


・「しましょう」「しなさい」という行動教唆的なやり方は、それをやりたくない気持ちを強くしてしまう。しかし実際のすぐに出来る筋肉行動に結びつく提案は重要です


・何も現実的な動きを取らないからこそ、ただ聞いてくれるだけだから、カウンセラーに安心して不満や愚痴をいえる。(現実に動き影響する人物だと不満はいえないのである)


・成長とは、「自らの利益になるよう外界を変容させる能力が増える」こと。そして治療が成功している大きな指標はこれです。


・「こんなことを言わなくとも、本人は既に知っているし分かっているだろう」と思うことを話してみることで、相手に喜びや洞察が生まれる機会を作る


・自分の未来を、可能性を、共に見てくれる人がいる、というのは希望を与える

 

・同行二人─砂浜の足跡


・相手が自ら何か始めた時、手も口も出さず、そっと見守り、上手くいくといいねと願うことはそれだけでサポートとなる。治療者は熱心にやりすぎないことを覚える。今起こっている良い方向に向いているものに対して、手出しはしないで、うまく願うこともサポートととなる

 

・「相手の良い方向へ変化してゆく力を、セラピストは信頼する」ことがカウンセリングの理想形。


・自分も家族の一員として参加しているとき、とても力を発揮する。その意識で参加させられるように工夫するとよいかも


・相手が怒っていたら「あのことで怒っているんだろうな」と思いながら、宥めようとはせず、様子を見ながら自然な感じにしておけば、そのうち和みます。慌てず、焦らずに。


・予測の的中性は、対象関係の中でとても大事です。自分の行動によって相手のリアクションが引き起こされ、しかもそこに予測性があって、予測が的中する喜びがあって愛着が育っていく。相手が「ここだろう」と思っていることが的中すること安心感、その確かさを作っていければいいですよね。


・スクリーンメモリー

何かを隠蔽するために、直視しないようにするために、重大な話題に意識を転換してしまうこと。それは最近のことが話されるのではなく、幼き日の思い出が使われる事が多い。しかし主要なテーマは今現時点の今ここの体験なはずです。そしてこれは無意識なので本人に尋ねても分からない。

 

 

共依存は、相手のことが好きなのではなく「頼り」にしているだけ。大抵の場合お互いのことが好きではなく、離れられないだけ。相手を必要としているけと好きではないわけだ。多くの場合憎んでいることもある。

アルコール依存症をお酒好きにすると飲む量が減る。


・長所や得意なことを伸ばす方針だと、苦手なこと不得意なこともちょぴり良くなっていくとのこと。

『ソリューション・バンク』を読んだメモ

 

 

・「非言語かつマネジメントに関わる言語を使いながら」援助する。

(←言語よりも非言語の重要性)

・ユーモラスに介入すること、可能ならば

ダブルバインドの本質は「言語によって行動を拘束すること」です。これを理解する流派を超えてブリーフセラピーを楽々行える。

任意のメッセージは、それを受け取る相手の、反応への選択幅を狭める。そうしてあらゆる行動は「拘束」される。

 

・コミュニティ内のシステム循環は、相互に拘束したもの。(良きにしろ悪きにしろ)

・セラピーに深刻さはいらない

・母から情報として父親像が示されることで、子との関係を変えてゆく

 

、「夫は優しすぎる」→「そんな優しい人だから結婚なさったのでは?」

少しでも問題が起きない時はないですか?→無いなら、すぐ解決努力の明確化をきいていく

・どんな物事も「ゆらぎ」は観測されて当たり前、なのだが大きくはないので発見しにくい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『コンサルタントの秘密』を読んだメモ

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コンサルタントとは、『彼らの要請に基づいて、人々に影響を与える術』です

・手助けが必要なのは、要請を受け入れた「あと」です

・非合理性に対して合理的になること

 

コンサルタントの三つの法則

①依頼主がどう言おうとも、問題は必ずある

②一見どう見えようとも、それは常に人の問題である

③料金は時間に対して支払われるのであって、解答に対してではない。

 

・10%の約束、10%以上の改良を約束してはならない

(まず相手は有能だと認め、その上で改良を要する部分はないか?と尋ねる心構えが大事)

そして10%を超えた改良をしてしまったら、気付かれないようにするため、その手柄を全て相手にあげる。

 

・相手の問題を「技術的問題」とラベリングする。

これにより相手自身に問題があってかつ解決できないでいることを意識させないし、無能だと感じさせない。

・誰の手柄か気にしていたら、何も達成できない。手柄にこだわらなくていい(手柄の法則)

 

・去りゆくガンマンの法則

(一つ仕事が終わったら夕陽の中をタッタタッと馬に乗って去りゆく、そしてそこに残された者が「あの人は一体何だったのだろう?」と首を傾げるファンタジーを思い浮かべることで、手柄の問題を処理する。あるいはクライアントが感謝を示さない時は、こちらの仕事のあまりの素晴らしさに口を利けなくなっていることにしようということでもある。)

 

・自分に要請されてない相手の問題を解いてやるな

コンサルタントは、直接的な満足感を得にくいので、質ではなく量で取り返す発想。

・大抵の場合、人はどれほど頑張ろうとも同じことを繰り返しているし意味のあることは起きていない。

・第一番の問題を取り除くと、第二番の問題が昇進する。

(時には問題を無視するのである)

 

・最高度困難法則「自分の手助けをすることは、他人の手助けをすることより難しい」

・合理的であるな、妥当であれ

・最適化とトレードオフの関係を考慮する

・ある方向に動けば、別の方向でコストが発生する

・現時点の確実性vs未来の不確実性 

「今といずれ」の対立はトレードオフ

 

・よく適応するほど、適応力を失う

・コンサルは3番目に与えられた問題に対して最も有能なことが多い

 

・オレンジジューステスト

「それは出来ますよ、で、それにはこれだけの費用がかかります」

と告げることで無駄な時間を浪費しなくて済む。

(=私は相手に何をして欲しいかを告げ、相手はその費用を告げる、そしてその値が妥当なら採用する)

 

マービンの三番目の法則

・「どんな処方にも、薬それ自体と、それが正しく使われる事を保証する方法の2つがある」

 

 

マービンの四番目の法則

「彼らがしてきた方法で問題が解決しなかったのなら、違う事を勧めなさい」

 

マービンの五番目の法則

「料金を十分受け取って、彼らがあなたの言ったことを確実に実行するよう仕向けなさい」

 

・なおせなかったら、機能にしてしまえ

(欠点を能力にしてしまえ的な発想)

 

白パンの法則

物事がそうなっているのは、そうなったからだ。同じレシピを使えば同じものが出来上がる

 

・組織の歴史を調べることは有用。誤りを回避し、見逃されてきたものを見つけ、システム自体を学べるのだから。

 

・問題解明にあたり、他者に聞く時は「現状から良い点を見つけて、そこに言及する」ことで相手は自らネガティブな事を話してくれるようになる。

 

・利用法

「相手の原理原則を教えてもらい、それを相手の問題に適用する」

 

・レッテルの法則

「対象について無知であればあるほど、一際目立つものしか目に入らなくなる」

また用いたそのレッテルの言葉により、現実に大きな影響を及ぼすので注意せよ

 

・注意の法則

誰かに注意を向けてる時、逆に「注意を向けてないもの」が存在していることを覚えておくべし

 

・信念体系の法則

多くの場合、相手の信念体系により問題が起こっている。ゆえに最初の五分間の会話に信念体系が明かされており、問題解決のヒントとなる

 

 

・コンサルの最初のお仕事は、「助力への要請を相手から取り付けること」である

 

・そこに無いものを見る力を養う。(有るものではなく無いもの)

 

・相手の鳴き声や、感情の雰囲気を「音楽」として捉え、言葉の内容と音楽が一致しているかいないかの感覚を持つことはとーって大切である。もし言葉と心の音楽が不一致ならば、そこには何か欠けたものや見落としているものがある。

→もし不一致しているならば、その不一致さに言及するだけで相手は話してくれるだろう。解釈よりも言及というニュアンスが本書は強い

 

・自分のベルシステムを作る

やってはいけない事をやりそうになった時、やった方がよいことを忘れそうになった時、遅くも早くもない必要なタイミングで思い出させる仕組みを考える。

(簡単な例→タバコを吸う時は時刻を書く、会計時に慰める言葉を印刷された名刺を目につくようにする等)

 

・相手のことを理解していれば、そんなベルシステムを挿入するのは簡単です。

 

・コンサルは揺り屋である。システムを揺さぶり問題を解決する。

 

・「彼は外部から来た人で、誰でも、関心のある事を話しに行っていいですよ」と紹介してもらう。コンサルタントと紹介されるより揺り屋の本質はこちら

 

・揺さぶりは、少ないほど効く。

逆にごくわずか以上の変化や揺さぶりは不要

 

・「各人が全体の一部だけを見ていて、その一部を全体だと同一視している」

なので彼らに他の見方も可能だと納得させること、これがコンサルの最大の仕事です。

 

・大きなシステムを、長期に渡る継続的な接触を通して変えようとする、小さなシステムは自らが変えられてしまう可能性の方が高い。

→故に長期的に深く関わらない。

 

ワインバーグのテスト

・「ご自分のシステムの有効性をどのように測定しますか?」

・「あなたはそのシステムに、ご自分の2000円、危険に晒す気がありますか?」

(空疎な理論に対して相手の何か個人的なものをさらしてもらい、そのシステムに命を預けられるか?を測る)

 

・新しいものと付き合わなければならない時は、2つではなく1つにしよう。

(新しいものは例外なく問題が起こるので)

 

30秒で考える

・このシステムを使う為の、より良い方法をご破産にするものは一体何だろうか?→書き出す

 

 

新しいシステムをテストする

・似たような状況で練習をしてみる

・新しい部分を要素要素に分解し、その一つ一つを採用してゆく

・試運転に他人を巻き込む

 

システムの防衛手段

・失敗を受け入れる

・完璧ではなく改良をする

・そのシステムが上手く行かない状況を考える

・バックアップを発明する

 

抵抗

・依頼主が変化に抵抗してもがく時、その「もがき」を観察することで本人が何に最も価値を置いているか把握できる。

あるいはその時こう聞けばいい「これのどの部分が、あなたにとって直面したくない事なんですか?」

 

・抵抗に出会ったら、

①その抵抗を明るみに出し 

②その抵抗に中立的な名前をつけあくまでも主観的な言い方で相手に伝える

③メリット・デメリットの両方を書き出すリストを一緒に作る

④相手の抵抗が強すぎて無理な時には降参する。

「この問題は私には大きすぎるようです。そちらで解決出来ればいいなと思いますけれども、私の方ではこれ以上のお手伝いは出来そうにありません」

→頑張りすぎないで早めに降参しよう。すると面白いほどに相手の抵抗は消滅する。【誰も押してないのに抵抗するのは難しい)

 

・自分の望みよりも、相手が望むものに関心を寄せないと抵抗に対処できない

 

・相手に責任を負わせる練習をさせる

・危機を一層悪化させるのは、現状維持のために注ぎ込むエネルギーである

・変化を拒むために作り出される幻想は、変化を起こりやすくさせ、変化をますます受け入れにくくさせる。

→これの対処法は、依頼主に出来るだけ早い時期から、現実に直面するよう勧めることです。

 

・「私は何も思い付きません、何も分かりません」

これらの言明は自らの抵抗の源泉を知られたくない、もし知られてしまえばそれを克服する方法を見つけられてしまうという恐れから口をつく。

 

意識下の抵抗を掻い潜る方法

・「私はあなたがこの計画のどこを変更したら良いか全く思いつかない事は分かっていますが、もしあなたがそれを思い付いたとしたのなら、それはどこでしょうか?」

・もう一つは、「この計画の中で最も気に入っている所はどこですか?」と尋ね答えを得たら、「では次に、気に入っている点はどこですか?」と繰り返していくとやがて気に入らない側面が明るみにではじめる。

 

抵抗の予防策

・「この計画を実施する場合、あなたが絶対に変わって欲しくない、と考える部分を一つ挙げるとしたらそれは何処ですか?」

(→この後に計画の変化を促す提案をするとOK、逆にこの問いの前に提案すると強い抵抗に出会う)

 

・抵抗の多くは未来への不確定性から来ている、と考える著者。

よって「変化をもたらす為の期間」を伸ばしたり、リスクに対して何らかの「保証」をすることで対処できる。

このリスクへの保証とは「もしあなたの恐れが現実化したら、償いとしてAを致します」ということです。

 

・相手の抵抗に抵抗しても良い事はない。

・私たちの目的は、依頼者が問題を解くのを助けることです

 

・人々はコンサルに対し「自分達を傷つける心配がないと感じる人」を雇います。何故ならば彼らにとってコンサルを雇う事は自らに力はなく、弱点があると感じるのが常だからです。信頼できる人を選びます

 

 

信頼の法則

・信頼とは、その人の人間性/能力に寄りかかれること。二つのうち一つでも寄りかからない場合は、信頼されない。

・信頼を得るには、あらゆる策略を放棄しなければならない

・不正直なことは決してしてはいけない(例え依頼主が頼んだとしても)

・相手に提供できると確信できるもののみ約束する。そうでない場合は約束しないこと

・約束は必ず守ること

 

 

・あらゆる問いへの答えを与えたくなると、依頼主は「自らの問題を解く気持ちを窒息させてしまう」。なので依頼主自身の「卵」=アイディアを入れる余地を与えよう。

 

・自分自身のNOの気持ちを感覚したら、どんな依頼主にでもNOと言えるようになろう

・一人の依頼主の仕事が、仕事全体の4分の1を超えないようにしよう

・最良のアイディアは彼らにあげてしまおう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

短期療法で問題解決をする

 

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ステップ0

・相手の使う言語・雰囲気を利用する

 

 

【ステップ1 内部探索と収集

 

①開始の質問

「今後どのようになったら、今日ここにきて良かったなぁと思えますか?」

 

②差異の質問

「問題がなくなったら、今と何が違いますか?」

「仮に問題が解決したら、解決したことにどのように気付きますか?」

 

③What's better?

「比較的、その問題が軽い時/良い時はありますか?」

→YESならその例外を拡張し、NOなら偽解決パターンにヒビを入れ新たな例外を構成する。

 

④尺度化の質問

・「その頃を0として、理想の状態を10とすると、今はいくつですか?」

・「1ポイント上がったら今とは何が違いますか?」

・「1ポイントの進歩は、どんな所にあったと思いますか?」

・「6のまま維持してこれたのは、どうしてだと思いますか?」

 

⑤奇跡の質問

「寝ている間に奇跡が起きて問題が全て解決したら、あなたは次の日の朝、どのようにそれに気付きますか?」

(ポジティブな会話をした後にこの質問をすると効果的)

 

 

 

【ステップ2 さらなる内部探索

 

①例外行動を相手にイメージさせる質問

・「もしAをする代わりに、あなたがBをするならば、何が新しくあなたに生じると思いますか?」

・「もしあなたが相手に『微笑む』時、彼はあなたに背中を向ける代わりに向き合うでしょう。そしてあなたは相手がそうするのを見た時、どんな行動を取りますか?」

 

・「もしAをしたら、彼の行動に何か違いが現れるでしょうか? 」(その答えを聞いて)「なるほど、そうなると彼との関係に何か変化が起こりそうな予感がしますね」

 

 

②問題を行動の側面に結びつける

もしもっと悲しみが減るならば、どんな”行動”をしていると思いますか?

 

 

③リフレクシブな質問

「あなたの問題に対して、彼はどのように感じているとあなたは思いますか?」

「こんな不快なパターンをあなたが続ける理由があるとしたら、それは何ですか?」

 

④問題の外在化

「その問題に名前をつけてみませんか? あなたの中に問題を抱え込んでしまっているように見えるので、名前を付けて切り離してみたいです。どんな名前がよいと思いますか?」

・「その問題に名前を付けるとしたら何ですか? 今度それが襲いかかってきたら、どうしますか?」

 

⑤びっくりクエスチョン

「彼をびっくりさせるには、どうすればいいと思いますか?」

(これにより例外的行動の創造を促す)

 

 

 

 

 

 

 

 

【ステップ3 介入課題の提案

 

──内部探索と情報収集した後、介入課題を考え、提案する。

 

①比較的良い状態のときを観察してもらう

・「自らの問題を観察しメモをする」

 

 

②逆説介入(相手の症状や抵抗を利用する)

・「次までに2回演技で暴れてください。そして彼に演技だと気づかれることなく上手に暴れてください」(彼側にも演技かどうか見破るよう課題をだし、次までに報告してもらう)

・忘れることに予期不安を覚えるなら「わざと忘れさせる」課題を出す。

・何をしても楽しくないならば、「これだけはやりたくない(楽しくない)ことは何ですか?」と尋ねる

・一人になる→家族と過ごさせる!

・意図的に感情を出さない→意図的に感情を出す!

(既に相手が問題への対処行動をしてるならば(偽解決パターン)、その行動の”逆”を意識したパラドキシカルな介入である)

 

 

③極端な時間制限

「次回までに少しAをして欲しいのです、どうですか? 時間は5分、それ以上はやってはいけませんよ。絶対に無理をしないようにして下さい」

(逆説的な効果を出すため、「そんなばかな?!」と思われるくらいの時間にする)

 

 

 

⑤物語化

「物語を作ってきて欲しいのです。テーマは『美女とタイガー』というテーマで描いてほしいのです。そしてハッピーエンドにしてあげてください」

 

 

 

◯介入課題を伝える前

ユーモアによって笑わせることができれば、介入課題をしてくれる可能性が高まる

 

◯介入課題を伝える時

①「とても難しいことを言っていると思います。工夫ができると思いますので、次回やってみてどうだったかを教えてください」

②課題のリハーサルを今ここでやると、その後もしてくれやすい

 

◯介入課題で改善が見られたた時

「どうして、こんなに変わったんだと思いますか?」

 

 

 

【理論】

・「事態がどうなったら解決したか」を知ることが肝心。

・THの役割は、相手に何か新しいことをするよう促すこと。

・小さなことをしてもらう、本当に最小限のことでよい

・介入課題をだした時点で治癒的効果がある、実行するかは問題ではない

・C Lの予期不安を把握することは重要

・相手がこれまで対処し改善してきた事への「知恵・秘訣」を尋ねることは重要です。

・介入課題がシステムに適合しないとき、治療抵抗として現れる。

・抵抗の出現を楽しむ