「面接法」を読んだメモ
面接者の仕事とは、「一人の平凡な人間が、専門家であると名乗り、もう一人の人間の相談に乗ること」
相談に来た人に対し、「私はこの人に何ができるのだろうか?」と自問し、目の前にいる相談者の言葉が著名な人物と同じ重さを持つことに気づくことを心掛ける。
本書で学ぶキーワードは、この4つである。
①相談者の訴えを「分かること」「受けとめること」
②「よく見ること」「よく聞くこと」「一緒に見ること」
③面接理論を学ぶこと
④ケースレポートを書くこと
優れた面接とは、
①「問題を抱えた人と、専門家として、普通に淡々と話し合うこと」です。
②「自然な気持ちを伴う、ゆったりとした流れのある会話」が出来ること
なぜなら悩みを持った人は傷つきやすく繊細なため
専門性の行き着くところは、いつも自然体という境地
面接とは、「人と人との出会い」
面接での相談者の訴えは、社会性を帯びており、実生活上の問題と深い関係性がある。当面は言葉にしたその訴えを深く聞いていくことで、このことが明らかになってゆく。
──人生上の問題が、訴えに投影されている、という考え方である。つまり、訴えとは、人生を比喩的に表すサインである。
それがサインであることを相談者は知らない事の方が多い。面接者はそのサインが何を意味するのかを、相談者と共に分かるまで探っていくことが大切です
面接の鍵となるのは、「不在の他者」という概念。面接者の存在が、実生活上で不在ながらも心の中で存在し始め、強く影響を及ぼしている状態のこと。
面接者は面接室の中だけで関わっていると思いがちだがそうではないのだ。
逆にもし面接者が相談者の生活圏にいたのなら、「見守る関係性」は成立しないかもしれない。なぜならそこには利害関係が生まれるであろうから。生活上の利害関係と独立したるからこそ、面接者は悩みを聞けるのだ。
面接者にとっての不在の他者とは、助言を請おうとする者、尊敬できる者、となる。ヘーゲルならどう考えるだろうか?ガネーシャ天ならどうするだろうか?といった具合である
「守秘義務、相手の自己決定の尊重、生命の保護」
相談者の人としての尊重を大切にする。面接者が行うことは相手を尊重しているか?という視点が必要
・「どのようにしたらこの人がわかるか?」と自問し、相談を「人」として理解することが「分かる」ことに繋がる。この「分かる」とは来談理由を把握し、その問題解決へと向かう道筋が描けることです。相談者が何どう困り、何を求めていてどうしたらいいか?が理解できている状態
誰であれ、面接者も相談者も無意識に未来を読んでいる(この先どうなるかと読んでいる)
「生活史→来談理由→面接経過→問題解決→未来史」
の順がおおまかな面接のながれ
相談者の「訴え」と「来談理由」は異なることに注意が必要です。口にしたことが全てとは限りません。なので来談理由は面接者が判断し、言葉にはならない相手の心を察知し、受け取った印象により判断していきます。
生活史や面接所見で得られる全ての情報から、真の来談理由を推定しましょう。これを「見立て」と呼び、当面の生活方針を話し合うのです。
この見立てとは、その後の面接経過により刻々と変化していきます。紡がれた物語が変化するに従い、その都度、方針も変わってゆくということです。
面接者が心で感じたことが、相談者の心が投影されたものとして考えてみる。
来談時は誰だって不安です。緊張しているでしょう。このことを知っておいて和らげる工夫をするのです。相手に見つめられることはあっても、面接者は見る時間を少なくしましょう
「自己イメージの明確化」と「自己能動感」の2つの出現は、面接でのゴールの一つ
相談者もまた面接者を判断します。人生の秘密を打ち明けるな値するか、心を開くことの不安によりその見極めはシビアです
面接者は相談者の長所・魅力を読み取ろうとする努力が必要です。彼ら自身が気づかない善き部分を発見しましょう。すると可能性が開かれてゆきます。
これは簡単ではありませんが、極意ともいえる視点です
体系的観察と、記録に残す習慣を身に付けましょう。訓練しましょう
(構造化された観察ともいえるもの)
→「外見、印象、姿勢、態度、表情、話し方、思考形式、感情、気分」──をそれぞれ見て言語化出来るようにします
面接で得られる「矛盾」に気づいた時、そこに重要な課題が隠れてるサインです
面接者は、相手の問題解決の物語り形成を手伝うのです
我々はチェックポイントを作り、かつ構造化した観察眼を訓練し、体系的な記録を残すことで上手くなる
面接とはこの五つ
①見ること
②聞くこと
③対等な出会い
④専門的関係
⑤相手の物語を読むこと
よく聞くことと、ただ聞くことは違う
相談者にとって「目の前に生きた人間がいて、他者がいるという手応えがあってその他者が自分の悩みを共有してくれるてる実感」が感じられると、この人はよく聞いてくれていると思うのです。
(ミラーリングに通じそうな感じだ)
つまり他者という異なるもの、自分ではないもの、一体化していないものが、それでも己を分かろうとしてくれる実感、それでも一体化しようとしてくれてる、その体験が面接には必要と考えられる
相手と自分が「一体感を感じている」ことが、よい聞き方。しかしこの距離感はほどよくすることも大切。対等な関係において遠すぎず、近すぎないことが挙げられる
・他者は、力として、抵抗として出現する。目の前の存在が思いのままにならない事実が他者性である。このことを受け入れることが他者理解のベースとなる
よく聞けていない時は、以下の三つが当てはまる
1.ただ聞いているだけ
2.情報取集が勝り詰問風になっている
3.相談者が面接者に支配されてしまうという感覚を覚える
よく聞くこと
①構造化された観察
②対等な関係
③適切な問いを立てること
(構造化された観察に基づいて、問いを立てるから、心の構造・輪郭が見えてるくると相手は感じるとのです)
適切な問いを立てることは、深い人間関係が形成され、かつ相談者に洞察が生まれる。
問いを立てるには、「おおよそよ見当」が必要であり、そのためには専門理論と経験と技法が凝縮されてなければならない。
その際、相談者の話を邪魔しないよう、要所要所で、新しい問いを立てていくのです。
その時の、その問いの「意外性」が、相手に他者が共にいるという実感を与えます
相談者が自分の考えがはっきりしてくると、自分のことがはっきりしてくる感覚になっていく。こらはよいこと
人は困難な状況では、自分を見守ってくれる他者を必要とする。(あれしろこうしろと言わない他者を求めている)
見守ることとは
①客観的観察
②見守る眼差し
浮動する視座、第三者視点、目撃者、聖霊の視点で相手を見ることを心掛けることで、それが見守る眼差しとなる。
これにより面接者と相談者が、生活史や現状を「一緒に見る・共に眺める」体験が生まれてくる
生活能力が低下している者の相談では、本人は「できない事が多すぎて」、どんな助けが必要かも訴えられず、助けて欲しいとも言えず、ただ面接に来ることが唯一の救助行動だったりします。
人と人との出会いは全てが新しく、一回限りであり、誰もが初心者となる。
相談者と接して感じる「重さ」に気が付いたら、それは「対等な人がいる」という感覚である。それを教えてくれている。この他者の力を感じ取れならば、相手の方が正しい点に気がつけます。これに気がつくと深い会話とも繋がる
面接では「ここにはいない人との関係を話し合う」のです。
(面接者と相談者の二者関係から「不在の他者」を扱う技術が問われます)
相談者とは日常語で話し、専門語で思索していきます
相談者には専門語は使わないようにする。
ある人を「分かった」と感じる時は、自らの中に相手の物語が生成されたというのと。
無際限性とは、人は際限がなく、無限であり、捉え尽くせない存在を示す言葉。人は分からないものであり、謎である──こう考え相談者と接すると、自分の自発性を認めてくれたと感じるであろう。
(無知の姿勢と繋がるものがある)
そしてのの無際限性のままでは、進まないので、これを一つの物語として有限なる言葉にする。しかし常に、物語にはならなかった部分に思いを馳せる必要がある。残余
面接者が見出した、相手の物語が面接の経過によって破綻した時、そこに「意外性」の体験が生じる。すなわち驚くのだ。
人は自ら紡いだ物語に縛られ、それを真理だと見做す存在である。例えその物語を抱えることが苦しくとも捨て去れないのは、それに「痛みと不安」が伴うからである。
新たな物語を紡ぐには、「見守る眼差し」「一緒に見ること」による信頼関係が必要である
人は何故生きるのか?といった(本人にとって)答えの出ない、けれど避けられない問いを受け止めるのが心のお仕事です。
例えその答えを知っていても、「答えを知ってるよ」という態度を示せば相談者からの信頼は失われます。
「相手の苦痛に素直に共有すること」がここでは求められています。
「それは私にも分からない、だから一緒に考えたいな」という態度は最良です。
物質主義の世界観では、自己洞察が深まれば生きる意味をなくしてしまう可能性が高い
相談者の「問いかけの重み」を感じることが、対等な関係へと繋がる
相手の一時の防衛に寄り添う。それは相談者が「解決不可能(困難)」だと感じているならば、それをますば一度尊重する。(例え面接者が解決出来ると思っても一時の脇に置いておく)
面接の第一段階
訴えに背後にある真の悩みを解読する(サインの解読を行う事自体が、訴え。受けとめることに繋がる)
↓
「明確に答えの出ない問い(人生の課題)」が見え始めたら、この答えの出ない問いを「受けとめ」、「それは私にも分からない、だから一緒に考えたいな」と提案をするのが第二段階です。
そこには見守られている感覚が相談者の中には芽生えてくる。
共に眺めること、そっと背中を支えながらの雰囲気で。
・共感という言葉に値するのは、「相談者の抱えた解決不可能な課題(主観)から目を逸らさなかった時」です。その困難から身を引かずに「一緒に見ていきたいな」と言い切れば、それは真の共感と言えるでしょう。
「分かるよ」などの安易な共感は、憐れみとして受け取られるので注意である。
そしてあまりの相手の重さに喘ぎ、たじろぎ、何故私がこのようなものを背負わなければいけないのか?自分の人生ですら大変なのに、とエゴが騒ぎ始めたらそらは「目を逸らしてはいけない転換点」の合図である。必要なことはその困難から目を背けないことである。
,面接者が、「相談者の答えの出ない問い・解決不可能な人生の課題」にいつか気がつくであろう。気が付いたら、正直に、素直に、相手に知らせることを徹底してください。
このて相談業の本質は、『砂浜の足跡』『バクティ』『聖霊の眼差し』である。すなわち見守ること、自由に自己決定させることと言える。
それだけでいいのか?と思われるかもしれないが、これが大きな大きな貢献となる。問題を解決することが最上ではないのだ。見守ることが徹底したとき、それは相手の生きることの推進力となり、希望の種となるのだから。
「私に出来ることは無いかもしれませんが、何があっても見ていることならば出来ますよ」と伝える決意があるとよい。
面接者の心に負荷がかかっても、いつも通り淡々と話し合いを続ける約束となる。
人の苦しみを直視することが、心の専門家といえる。(しかしそれは大変な危険なことでもある)
相談者が「自分で考えること」は、このような見守られている環境によって現れてきます。