甘えるとは、「願いが叶えられる」環境にいるということ

 

 

 

拗ねるという言葉が嫌いな方がいた。それは自分に対して言われるのはイヤだと。ならば拗ねるとはどわな言葉に置き換えられるだろうか? と考えていたら、「甘える」という言葉がしっくりくる。(positiveな意味で使っている) 拗ねるとは、甘えるなのだ。

 

甘えているが、その甘えが満たされないときに、けれど甘えたいことを(受動的に)要求することが「拗ねる」である ──と考えるとどうだろうか?

 

あなたは拗ねている ↓ あなたは甘えたいのだ と置き換えてもしっくりくる

 

次に「甘える」とはなんだろうか? 私的な暫定解としては、「願いを叶えてほしいと要求すること」である。

 

恋人がハグをしたい!と望む しかし私は、ここではできないと拒む すると、なんでしてくれないの!とそっぽを向く。 それを放っておくと、何も反応してくれないの寂しい!と言う。 これは一般的に拗ねる(=甘える)と言っていいし、相手はわたしが願いを叶えてくれるとも思っているから成り立つ

 

つまり、甘えられる環境というのは、「自らの願いが叶えられる場所」と言っていい

 

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子どもを甘やかすことは、健全な発育にとってよいよね、という意見が恋人から寄せられてそうだよねーとなる。 そして「甘やかす」という言葉は、ネガティブに使われることもあるのでより本質的な意味合いはなんだろう?も二人で考えていた

 

結論から言えば、「甘やかす」とは、「世界の肯定感を与える」ことといっていい。 子どもが甘えてきた。それを私が肯定する。甘えていいよというスタイルを取る すると子どもは「世界(親)に肯定されている、ここは、この時間は自分がゆったりと安心して過ごしていいんだ」という感覚を覚えてゆく

 

 

甘えることができた=世界の肯定感を与えてもらった子は、どうなるか? ──この世界は善いところで、素晴らしい という実感が増してゆく。 ならば甘える/甘えさせるという行為は善きものだ
 

そしてこれは、恋人関係にも当てはまる。 恋人同士が甘えたい!と思う時があるのは、世界肯定感を求めているからであるし、そしてそれを与えられる関係性ならば、 ここ(あなたとわたしの関係)にいていい安心感に繋がる